一週間を少々超えるくらいの旅のプランを考えるときに、

毎度悩ましいのは必ずどこかしらに月曜日が入ることでありまして。

日本と同様に博物館や美術館が閉まっている日、どういうわけか万国共通なのですかね。

 

どこへ行くにも「あそこにも、ここにも」と欲張ってしまうものですから、

この月曜日の存在が何とも無駄に思え、移動日に当てられればベストなどと。

考えてみれば、行先では毎日方々を歩き回ってくたくたが積み重なっていきますので、

月曜日を中日において休養日にでも充てればいい…てなふうに考える今日この頃。

年を取ったのかもしれません…(笑)。

 

とまあ、そんな旅のプラニングで「お!月曜、開いてるじゃん!」というところをめっけますと、

なんだかとても得した気分にもなるものでして、このときにはルターハウス・ヴィッテンベルクが開いていると知り、

月曜日をヴィッテンベルク探訪の一日に充てたのでありました。

 

ということで、旅本来の時系列から言えば、ここにヴィッテンベルクのあれこれが挟まるわけですが、

そのあたりはすでに書きましたとおり。そんな翌日う、いよいよ旅は最終日を迎えたのでありますよ。

ふたつの施設をたっぷり回って空港へ、という段取りですが、ひとつめはバッハ博物館ライプツィヒ、

バッハゆかりのトーマス教会、そのバッハ像のある目の前に博物館はあるのでした。

 

 

ライプツィヒでのバッハはトーマス教会附属学校の中に居室を与えられていましたので、

この建物は当時のバッハとゆかりの深かった商人ゲオルク・ハインリヒ・ボーゼの屋敷だったところであるそうな。

 

 

ちなみにこちらがトーマス教会附属学校の在りし日の再現ということになりますが、

上層階にはたくさんの椅子が並んでおりまして、学校の盛況ぶりが窺えるところかと。

下層階の方には校長先生の居住エリア、トーマスカントルたるバッハの居住エリアなどがありますけれど、

一つ屋根の下で暮らしながら、バッハは校長先生とあまり折り合いが良くなかったとか。

 

 

とまれ、かつて商人館はなかなかに広く、展示もたくさん。

日本語対応の行き届いたオーディオガイドを貸してくれますので、じっくりと見て回ったのでありますよ。

 

 

まずもってこちらは(アイゼナハのバッハ博物館でも見かけた気はしますが)

代々各地の音楽家と知られたバッハ一族のファミリー・ツリーでありまして、

一番下、根元に近い大きな円に書かれているファイト・バッハが音楽家一族の淵源とされているようす。

大バッハと言われ、単純に今バッハと言ったときに思い浮かべるヨハン・セバスティアンの高祖父に当たります。

 

ファイトの円には「1」と数字が振ってあり、子々孫々と数が大きくなっていってますが、

ヨハン・セバスティアンは26番目に登場、子どもの代も46番にヴィルヘルム・フリーデマン

47番にカール・フィリップ・エマヌエルが見えておりますね。

 

 

以前、長男ヴィルヘルム・フリードリヒに父ヨハン・セバスティアンは就職の口利きをしたと触れましたが、

バッハ一族だけでも音楽家を輩出しておりますので、要職(つまりは実入りがいい)にありつくことは

なんなか難しかったのでありましょうね。

 

父J.S.自身、転職に次ぐ転職を重ねてライプツィヒのトーマスカントルにたどりついたわけですが、

博物館の展示はその就職活動歴をたどるがごとくでもあるわけです。

 

 

分けても、右手奥に見える解説(といってほとんど見えませんが)にあるワイマールと

その手前に2つの解説のあるケーテン、このふたつの土地はヨハン・セバスティアンの飛躍の地でもあったようで。

前者ではザクセン=ヴァイマル公国の宮廷オルガニストとして、生涯に作ったオルガン曲の半分くらいを書き、

後者ではアンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長として、「ブランデンブルク協奏曲」始め多くの器楽曲を残したのですから。

 

この時期、宗教音楽に距離が置かれたのはケーテン侯がプロテスタントながらもカルヴァン派で

教会での多様な音楽に関心が無かったからということもでもあるようです。

とまれ、、そんな宮仕えのキャリアをもって、1723年にバッハはライプツィヒにやってくるのでありました。

 

その後、27年にもわたってライプツィヒ市の音楽を取り仕切ることになりますけれど、

王様のような「その人に従っていれば取りあえずはよし」という存在の無い自由都市でしたから、

何かと苦労の連続であったようですね。

 

絶対的な君主の我がままもやっかいですが、

誰もがそれぞれの立場で自由に意見の言える、いわば「民主的」と思えることもまた、

実はそこには面倒さがあるというのは、今も同じことが言えましょうし。

 

 

と、展示の中にはライプツィヒ、ヨハニス教会のオルガン奉献式でバッハ自身が演奏したというオルガンの演奏台があったり、

バッハが主人公になっている映画(あるところにはあるのですなあ)が見られる映像コーナーがあったり、充実してましたなあ。

 

バッハの関わった土地、あちらこちらに博物館、資料館はあるのでしょうけれど、

ひとつだけとなると、やっぱりライプツィヒをというべきなのでしょう。

でも、アイゼナハの方も捨てがたい…ということで、方々を訪ね歩いてしまっているような次第で…(笑)。