先日、映画「バードマン」の話の中で、映画と演劇のフォーマットの違いとか言いつつも、

例えばとしてカメラワークのことくらいしか触れておりませんでしたけれど、

演劇の場合には観客の目の前で行われるが故のさまざまな制約がありましたなあ…とはいわずもがなながら。

 

背景にしても明らかに書割と分かるものが置いてあるだけだったりするわけで、

そうした制約がある中で(あるいはそうした制約を逆手にとって?)どう見せるか、

見ている側に書割が書割であることに忘れさせ、さらには書割であるにもかかわらずその場を想起させる、

それをどうするかがポイントだったりするように思うのですよね。

 

これが映画になりますとロケができるわけですから、

何かが起こっているまさにその場所(またはその場所と同じような風景の中)で撮影できたりします。

演劇の方は想像をして(ふくらませて)「すごい場面だ」と受け止めてもらう試みとすれば、

映画は「すごい場面」に遭遇しているかのような臨場感を与える試みであったりするのかも。

 

もちろん話によってはそうでない、より演劇的な語り口の映画もあろうとは思いますが…と

今現在を考えるとそんなふうに思うところながら、よくよく思い起こしてみれば、

やはりそれは「今現在」だからだったのですなあ。

「北極の基地/潜航大作戦」なる古い映画(1968年公開とか)を見て「う~む」と思いましたですよ。

 

 

ひと頃は作品が軒並み映画化されるという人気の冒険小説作家アリステア・マクリーンの原作ですので、

「ナヴァロンの要塞」や「荒鷲の要塞」などのような冒険アクション映画であろうとは想像どおりでしたですが、

取りあえずストーリーをまたあらすじ引用で。

アメリカ合衆国の原子力潜水艦タイガーフィッシュ号は、北極に急行していた。北極にあるイギリスの気象観測基地ゼブラの生存者救出がその任務である。ファラディー中佐と乗組員たちは、一路北極を目指すのだが。飛び交う極秘指令、渦巻く疑惑、暗躍するスパイたち---気象観測基地ゼブラは、米ソ一触即発の危機を迎える。

と、東西冷戦下、一触即発の緊張感を醸すいかにもなお話ですけれど、

ここで「う~む」と思ったというのはストーリーのことではないのでありますよ。

話はまず原潜が目的地に向かう過程が描かれますので、ここでは海中のシーンが続きますが、

「ああ、プールの中に潜水艦の模型を入れて撮ったのだあね…」と知れるのですなあ。

 

先に進むと話は北極の氷の上ということになりますけれど、今度もまた

「ああ、スタジオにセットを組んで撮影したのだね…」と。

ブリザードの場面など、目の前に大型扇風機がうなりを上げているのだろうなあということも

ありありなのですよね。何しろ風が常に一定風量、一定方法ですから(笑)。

 

とまあ、このような言い方でお伝えしているということはネガティブ評価をしているとの印象を与えるやもながら、

その実、先程の「う~む」は眉をひそめているのではなくして、感心しきりの「う~む」なのでありますよ。

 

どんなふうに撮影しているかがくだんのように想像できてはしまうものの、

だから「なんとちゃちな…」と思うかといえば、そうではなくって海中の話、北極の話に

思いのほか違和感なく入り込めてしまったのですから。

 

いったいこのからくりはなんぞ?と考えてみますれば、要するに見る側の想像力による補完なのですよね。

つまりは冒頭で触れたような演劇のありように近いものであると思うわけです。

 

映画だからどこへでもロケに行って、さらには特殊な効果を駆使してということが当てはまるのは

映画の歴史の中でも近年のことなのだということを失念してしまっていたわけで。

 

そもそも映画というのは技術であって、何かしら動きのあるものを記録にとどめるものとしてあったのであろうと。

そして、記録にとどめられる対象には、映画よりも遥かに昔からあった演劇もまた入っていたのではありますまいか。

舞台は一過性のものですけれど、フィルムに収めれば再鑑賞できますものね。

 

それがやがて、舞台として出来上がっているものを記録するのでなくして、

最初からフィルムに残すことを前提として「映画」作りが始まるも、

舞台装置などは演劇仕様の延長であったことでしょう。

 

それに映画ならではの特殊技術などが持ち込まれ、より映画らしい個性が加わっていく。

ですが、基本線は演劇の延長で「どうやったらそれらしく見せることができるか」に工夫を凝らし、

限界を超えた部分は見る側の想像力の補完が当然に期待されたといいますか。

 

それがいつしか、映画の中に描き出される場面が端から見る側の想像力に頼ることなしに

それらしく作り上げられる技術が進んできたものですから、冒頭に触れた映画と演劇の違いを

感じたりしたのだと思うところです。

 

そんなところで改めて思うことは、ヒトの想像力とは大したものだなということ。

それを全く頼りにしないで見せるやりようもあっていいと、もちろん思いますですが、

見る側がそちらにばっかり向いていると、ひらすら受動的な鑑賞になっていってしまうのかも。

そんなふうに考えたのでありました。

 

ちなみに「北極の基地/潜航大作戦」は1969年のアカデミー賞で特殊効果賞にノミネートされています。

「ああ、スタジオだな、大型扇風機だな」とは言いましたけれど、それほどによくできている、

つまりはヒトの想像力に働きかけられる効果を生んでいると受け止められたからでもありましょう。

 

しかし、受賞には至らなかった…。

このとき、特殊効果賞をさらっていったのが「2001年宇宙の旅」であったとなれば、致し方なしでしょうかね…。