以前にも触れたことがあるように思いますけれど、清水義範の小説に「もれパス係長」という短編がありますね。
後に「世にも奇妙な物語」の一編としてドラマ化されたようですので、そちらご存知の方もおられましょう。
とにかく心に思い浮かべただけのことが、周囲には大きな声で発言したかのように聞こえてしまう。
「テレパス」という超能力が他人の心を読める能力だとすれば、心のうちを他人にもらしてしまう能力が
「もれパス」というわけで。
ですが、今ここで能力という言葉を使いましたけれど、こと「もれパス」に限っては
能力というだけの前向きさで受け止めることは、とてもじゃないけどできませんですよね。
何しろ、何かしら順番待ちの列に並んでいるとして、心の中で「おっせえなあ」とか「早くしろよ」と
ちらとでも思ったことが、周囲には大きな声で言ったこととして聞こえてしまうのですから、
災難もいいところではなかろうかと。
では翻って「テレパス」であるという能力自体はどうなんでしょう…と、
また長い前置きでこのようなことを言い出しましたのは映画「高台家の人々」を見たからというわけでして。
ただただ綾瀬はるかのコメディエンヌぶりが見られるものでもあるかなと、
特にストーリーを気に掛けてはいなかったもので、また少々あらすじを引用で。
地味で口下手な妄想好きヒロイン(綾瀬はるか)が、人の心が読めてしまう“テレパス”ゆえに人間不信のイケメン・エリート(斎藤工)に惚れられ、次第に心を通わせていくさまをコミカルに描く。地味な印象のOLの木絵(綾瀬)は、独創性溢れる妄想が気に入られ、人の心が読めるテレパスゆえ人間不信に陥る光正(斎藤)と付き合うことになるが、様々な障害が二人を待ち受けていた。
最初のうちの妄想炸裂がだんだんと鳴りを潜めていくようすに、話の展開上「まあ、こうならざるを得んのだろうな」と。
ですが映画そのもののことはそれとして、ここでの食いつきポイントは「テレパス」でありまして。
登場人物の中では、あらすじにありますように高台光正がテレパスですけれど、
これは英国人の祖母からの隔世遺伝であるらしく光正の妹弟もまた同様の能力を持っているようす。
で、この能力は果たして「他人の心を読みにかかると読めてしまう」というものであるのか、
「あえて読みにいかなくても他人が心のうちで思ったことが伝わってしまう」ものであるのか、
これは実に大きな違いだと思うのですけれど、映画では話の進行の都合でファジーな気がしますですね。
ずいぶん前のアメリカ映画「ブルース・オールマイティ」では主人公ブルース(ジム・キャリー)が神さまに向かって
「あんたは(みんなの願いを聞いてやるといった)仕事をちゃんとやってないんじゃないか」と悪態をつきますね。
すると、神さま(モーガン・フリーマン)が現れて、「そんなら、自分でやってみろ!」と
神さまの仕事をブルースに丸投げすることになります。
…と、これが「高台家の人々」、ひいてはテレパスとどう関わってくるのかはもう少しお待ちください。
期せずして神さま代わりとなったブルースには、全世界からの神さまへのお願い事が聞こえてくることになる。
寝ても覚めてもです。これではおちおち睡眠もとれない…。
とまあ、テレパスが先の仮定で後者の場合であるならば、
つまり「あえて読みにいかなくても他人が心のうちで思ったことが伝わってしまう」ものであるとするならば、
テレパスであるという高台家の人々もまた同じような「声」に年がら年じゅう苛まれることになってしまいますね。
どうやらそんなふうでもなく、過ごしているらしいである高台家の人々のテレパスは、
それでは前者、すなわち「他人の心を読みにかかると読めてしまう」というありようなのでしょうか。
そうであるとするならば…。
映画「高台家の人々」は話が進むにつれて、ヒロイン・木絵の妄想が無くなっていきます。
妙な妄想を展開する心のうちを恋人に読まれたくないという思いから、
心の中を真っ白にしてしまう努力をするからなのですよね。
結果、こんなに苦しい思いをするなら…となっていってしまうわけで。
ですが、ここで高台家に伝わるテレパス能力が前者だとしたならば、
いかにその能力があってもその能力でもって他人の心のうちを読みかかることをしなければいい、
とはなりませんでしょうか。
もちろんそれではお話になりませんし、まあ、要するにファンタジーなのだからと考えれば、
理屈っぽくああだこうだと言うことに意味はありませんけれど(そもテレパス自体、理屈ではないかもですけれど)、
自分の側にいかに能力があるからといって、それをフル活用する前提を相手に了解しておいてくれとは、
あまりに自己都合にすぎるように思えたものですから。
何にしても「こんな能力があったらいいな」と考えられてきたことにも、
よくよく考えればいいことばかりでないという側面が見えてきたりもして、
だからこそ本来的にはヒトに備わっていないてなことがあるのかもしれんなあと思ったりしたのでありました。
