ちょいと話はさかのぼりますが、

東京湾フェリーの船中で遅れた昼飯のつなぎとしてこのようなものを食したのでありまして。

 

 

「よこすか海軍カレーパン」。

フェリー到着地の久里浜港も横須賀市なわけですけれど、横須賀といえば海軍カレー、有名ですな。

包装紙の裏側には「由来」が書かれてありました。

 

 

もそっと補足しますと、海軍の「軍隊食」となったカレーは明治41年に発行された『海軍割烹術参考書』にレシピが残されて、

それを使って復元したのが「よこすか海軍カレー」であるそうな。町おこしの名物品に担ぎ出されたのは1999年だそうですから、

長い歴史の衣をまとっているふうでいて、実はそれほど長く親しまれてきたものでもなかったようです…。

 

さりながら、「カレーの街よこすか」なるwebサイトがあるくらいに発信側は力を入れ、

そんな努力は受信側にすっかり「横須賀といえば海軍カレーで有名」という思い込みを生じさせるに至っておりますなあ。

 

 

ま、そんな思い込みあらばこそですが、久里浜のペリー公園から移動して、横須賀港あたりまでやってきましたときに、

「さて、改めて昼飯」と思うと「よこすか海軍カレー」の幟旗が目にとまり…。

 

 

またしても「よこすか海軍カレー」をオーダーしてしまいました。

他にも「軍港ナポリタン」ですとか、「ヴェルニーバーガー」ですとか、

横須賀ゆかりを思わせるメニューはあったのですけれどねえ、ついつい(笑)。

 

ところで、そも海軍が何故カレーを軍隊食に採用したか…でして、

単純に英国海軍を真似たという話ではないはず…と思っておりましたら、

店内で見つけた「よこすか海軍カレー」ガイドブック2019にはこんな記載がありました。

明治初期に日本海軍で蔓延していた脚気の予防法を確立したのは後に海軍軍医総監となる高木兼寛でした。その時に採用されたカレー風味のシチューに小麦粉でとろみをつけたメニューが現在のカレーライスの原型になりました。

つまりは、脚気予防のためにカレーが軍隊のメニューに加わったということなのですなあ。

少々補いますと、カレーは肉も野菜もとりまぜて煮込むものですので、

栄養がバランスよく摂れるというのがポイントであったようです。

 

当時、脚気は実に深刻な病いであって、しかも陸軍と海軍とで脚気の原因に関する意見が分かれていたのですよね。

陸軍が森林太郎(のちの鷗外)をドイツ留学させたのには脚気研究もまた目的であったという聞きますけれど、

脚気対策に実を上げたのは海軍だったということで。

 

その後の日本で脚気はおよそ聞かない病いになりましたけれど、

それもカレーを日常的に食しているからでしょうか…と、そんなことはないでしょうが、

食生活の栄養バランスという点では脚気とはまた別の病いに悩まされるような、

そんな御時世であるかもしれませんですね。