このほど泊まった山梨の湯は春日居温泉であったわけですが、

その宿からほんの目と鼻の先はもう笛吹川の土手なのですなあ。

 

 

平成の大合併にのっかる形で、春日居町と近隣の石和町、御坂町、一宮町などが寄り集まって「市」になる際、

その名を取ったのがこの笛吹川ということなのですが、この笛吹川という名前、何やら曰くがありそうではありませんか。

 

 

昔々あるところに母一人子一人、たいそう母親孝行な権三郎という少年が住んでいたそうな。

あるとき、大洪水を起こした川の濁流に母親は飲み込まれてしまい、

権三郎は母の好きだった篠笛を吹きながら探し回るも、疲れ果てて自らも川に流されてしまったと。

 

そののち、どうも川の瀬音が権三郎の吹く篠笛のように聞こえるとささやかれ、

いつしか川は笛吹川と呼ばれるようになったそうじゃ…。

 

と、上の写真で見ても、いかにも増水しそうなポテンシャル?ありそうな気配が。

よく見れば比較的最近も増水があったのか、枯れ枝がそこここにひっからまっているようでもありました。

 

水害は何も笛吹権三郎の伝承ばかりではありませんで、

現実にもWikipediaに「明治40年の大水害」てな一項目が立っているくらい。

 

このときの被災者の中には故郷を捨てて北海道への移住する人たちもおり、

実際に北海道の移住先では「山梨村」ができたり、そも羊蹄山を蝦夷富士と呼んだのは

故郷から見る富士山を懐かしんだ山梨の人たちだったという話もあるようです。

(ちなみに上の写真では御坂山地の向こうにほんの少し富士山が頭を覗かせています)

 

とまあ、ここらの住民たちは暴れ川に苦しめられたわけですけれど、

元来、田畑を作るにいい土地柄ではなかったことも移住を促したところがありましょうね。

一方で、そういう土地柄だからこそかつては桑畑が広がって養蚕に勤しみ、

その後にはぶどう栽培に力を入れるところとなったということでもあろうかと。

 

ところでそのぶどうには、ワイン用になるものと生食用になるものとがありますな。

見かけるぶどう畑で、垣根仕立てになっていればワイン用、棚仕立てになっていれば生食用てなところかと。

で、生食用のぶどうといいますれば、今でこそ当たり前に巨峰だ、マスカットだということになるものの、

自分の子供時代にはいずれも雲の上の存在のようでありましたよ。値が張るということで。

 

ですから、当時「これがぶどう!」と思っていたのは、いわゆるデラウェアという種類でありましたよ。

稀に巨峰などを口にしようものなら「大きいけど種がある…」てなこと言って、

なんとなくデラウェア擁護に回ったり。何しろデラウェアは種なしぶどうの代名詞だったでしょうから。

 

 

かような思い出話になりましたのは、笛吹川の土手近く、なんとも唐突に佇む石碑に遭遇したからでして。

「デラウェア- 種なし葡萄発祥の地」と書いてあったのでありますよ。

大変にお世話になった種なしぶどうは、この地が発祥であったのですなあ。

解説板にはこのようにありました。

稲馬鹿苗病菌の純粋培養は、東京大学で成功し、この物質はジベレリンと命名された。ジベレリンの農作物利用研究は昭和三十三年に始まり、農学博士、岸光夫先生を中心に、葡萄におけるジベレリンの利用研究に着手した。昭和三十四年デラウエアーに種なし、果粒肥大、濃度、処理期を組み合わせた試験を春日居町民の協力を得て造成したこの地において、五年生樹を用いて行ない、その結果見事に成功し、世界で初めて種なし葡萄が誕生した。この技術は速やかに全国に普及した。

子供の頃に、種なしのデラウェアをよく食したとは言いましたけれど、

その技術は昭和の30年代半ばになって初めて(世界でも初めて)できたものだったとは。

実は当時でも種なしぶどうは、まだまだ出たてといってもいいくらいだったのかもしれません…と、今更ながら。

 

ひょんなところでひょんなことを知ることもあるものです。