ドイツ・ヴィッテンベルクを訪ねて、まずもって最大の目的地たるルターハウスを巡り終えてしまい、
続いては少々、ヴィッテンベルクの町歩きのお話を。
先にも申しましたようにヴィッテンベルクの町は東西に広く、南北に比較的狭い。
そこを東の端の方にあるルターハウスをあとにしてゆるゆると町中へと歩を進め、
まず足を止めたのがこちらの建物でありまして。
建物自体に何かしらの特徴があるわけではありませんで、
二階と三階の間のプレートに目を止めなければ素通りしてしまいそうでもあります。
「フィリップ・メランヒトンはここに住い、ここで教え、ここで亡くなった」と記されていることで、
「ああ、ここがメランヒトンハウスなのだな」と分かるのですなあ。
こうしたメランヒトンの名前を出し、肖像(ルターハウスに展示されていたもので、クラーナハ工房作)まで紹介して、
さてメランヒトンという人物は…ということになるわけながら、実はこの名前、今回の旅に出るまで全く知りませなんだ。
もっともルターを訪ねる旅をしているようでありながら、
ルターに関してさえ「95カ条の論題」、宗教改革という言葉くらいしか知らずにいたのですから、
メランヒトンを知っていようはずもないと申しますか…。ちなみにWikipediaではこんなふうに紹介されています。
ルターの宗教改革において、ルターの思想の体系化に尽力。プロテスタント正統の基礎を築いたという面でカルヴァンと並び称される。
こうまで言われてしまいますと知らなったのが何とも申し訳のない話になってきて、
しかもプレートのある家のとなりは資料館にもなっているのに立ち寄らずじまいとあっては
申し訳ないとしか言いようがなくなってしまうところながら、まあ、宗教改革探訪ばかりが今回の旅ではありませんので、
気を取り直して歩を進めることにいたします。
メランヒトンハウスから、町の東西を結ぶメインストリートをたどって、
ヴィッテンベルクの町の中心と思しき場所、マルクト広場にはほどなく到達。
お決まりのように市庁舎がでんと、広場に面して建っておりましたよ。
1541年完成のルネサンス様式の建物…ということは、ルター存命中には出来上がっていた。
そんなふうに思うと少々感慨深くもなりますなあ。その後にいろいろ手は加わっておりますしょうけれど。
ところで、市庁舎を背にして、マルクト広場には2体の像が置かれてありまして…と、
誰の姿であるかは想像がつくところでしょうか。
ひとりは言わずと知れたマルティン・ルターで、そうなるともうひとりは…。
先に肖像画を見ておりました関係もあり、「ああ、やっぱり」のフィリップ・メランヒトン。
ルターにばかり偏ることなく、ここでもしっかりと両者は並び立っているのですなあ。
ふと、メランヒトンの方がむしろ修道者のようにも見えたりしてきましたですよ。
ところで、マルクト広場に面して建つこのホテルブラウハウスですが、
入口上掲げられた双頭の鷲の紋章、その両隣に白いプレートが見えましょう。
左側にはノーベル文学賞受賞者として知られるゲルハルト・ハウプトマンが1903年と1930年に来ましたよということが、
そして右側の方には、1778年5月23日、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテがここに泊まりましたと記されてありました。
表示にフォンが付いていないのは、まだ20代の若いころの訪問だったからで、間違いでも端折ったわけでもないようですが、
そもヴィッテンベルクを訪ねるときに「ゲーテ街道」の道筋から外れて…てなことを言いましたけれど、
やはりここにもゲーテは来ていたのですなあ。







