神奈川の川崎を出て東京湾を越え、房総半島を横切って、夕刻に外房・勝浦へと到着いたしました。

すでにとっぷりと暮れておりましたですが、宿へ一歩入るとこんな具合でありましたよ。

 

 

南房総勝浦海岸・黒潮の宿臨海荘というこのお宿、

「古い民家の材料を内装に使用した漁民の宿」という触れ込みでして、

そこここに古いもの(中には怪しげなもの、例えばクジラの局所とか…)が飾られ、

また何気なく置かれてあったりしたのでありますよ。

 

 

湯殿の方には「万祝温泉」とありますが、

「万祝(まんいわい)とは何ぞ?」と思いますればちゃあんと説明書きがついておりましたよ。

大漁の際、船主が乗り手たちにお祝いとして配った「漁師の晴れ着」の事で、その鮮やかな半てん衣装は、世界にも類をみないわが国の漁民芸術の粋である。大漁の時、船主は自らの家紋や、屋号、船名をモチーフとした万祝を配って共々喜びを分ちあった。

まあ、大漁旗などと同様に漁師文化のひとつでありましょうかね。

お湯はといえば成り立ちからして火山の無い千葉県では温度の高い、いわゆる「温泉」はあまり望めませんので、

こちらでも「万祝温泉」と言いつつも鉱泉の沸かし湯だと思うのですが(と、ここまでネガティブ・トーンながら)、

これが実にいい湯でありましたよ(笑)。

 

 

と、温泉はともかくも漁師町の宿に来たからには当然に期待される食事はこうですよねえ。

外房・勝浦のことは、先に「海ほたる」でカツオを食したときにも少々ふれましたですが、

漁業が盛んな千葉県にあって銚子漁港に次いで漁獲量の多いのが勝浦漁港であるそうなのですね。

 

 

漁港自体は左手奥になりますので見えませんけれど、

海のなか正面に鳥居が立っていたりするのは、これもまた漁師文化との関わりかなと思ったり。

 

ところで、かつて銚子の醤油造りが紀州から伝わったことにも関わって、

実は千葉県と和歌山県とはなかなかに関わり深いものがあることを知ったのですな。

 

そのあたりのことは、勝浦や白浜という和歌山県にある地名が千葉県にもあるというあたりでも

想像されるところですが、かつて海上輸送が大きな物流手段でもあった頃、黒潮に乗った動きというのは

今思う以上に活発だったと言えるのではないでしょうか。

 

現在、東京から千葉方面に陸路で向かうときの経路としては、

千葉の奥に進むにしたがって下総、上総、安房となりますけれど、

これも海上交通主体で考えれば上総、下総の関係が分かりやすくなろうというものです。

 

さらに、今これを書いているときに「!」と思ったことですが、房総半島の先の部分が「安房」なのは、

和歌山県の対岸である徳島県、これが「阿波」であることとの関わりがあるのではなかろうかということ。

旅で気付くことは実にたくさんありますなあ。