こんなところでも聖徳太子ゆかりと発信している四天王寺を後にして、

本当ならこちらがメインの参道なのでは…と思ったりもする南大門からまっすぐに続く道へ。

さりながら参道の趣きどころか、現実にはこんな感じなのですけれど。

 

 

ただ、この一本道の道すがら、途中のお寺さんでふいと有名人にお墓に遭遇しましたですよ。

初代竹本義太夫の墓所であるということです。

 

 

貞享元年(1684年)道頓堀に竹本座を開いて、

大坂文化のひとつである人形浄瑠璃を興隆に導いた人である竹本義太夫。

大阪歴史博物館にかような展示があるのも、たぶんにこの人のおかげはありましょうねえ、きっと。

 

 

と、それはさておき南へとさらに進んでいきますが、あまりに何の変哲もない道筋に

ふいと路地へ折れてみますと、「ああ、ここいらも四天王寺であったのだなあ」と想起させる看板が。

 

 

そんなふうに歴史に思いを馳せつつ歩いた路地裏からふいと大通りに出ますと

やおら頭上の視界が開けて現代の風景が現前する。「あべのハルカス」が目の前に見えるわけで。

 

 

路地裏歩きではほぼひと通りもありませんでしたが、

天王寺駅から阿倍野橋の歩道橋あたりに踏み入りますと大違い。「人だらけであるな…」と。

 

もとよりわんさとひとのいる場所には、できることなら近づかずにおきたいたちでして、

突如遭遇した人だらけの状況にちょっととした驚きを持って「阿倍野橋渋滞」と題しただけで、

現実に車が渋滞していたわけではありませんので、あしからず。

(ちなみにお気付きの方もおいででしょうが、チューリップの曲「千鳥橋渋滞」のもじりです…苦笑)

 

で、そんなひとごみは大阪だからということもありませんでしょうし、東京でも珍しくはない。

東京・新宿駅の休日の混みようなどは尋常ではないわけですが、そうした中を泳ぎ歩くのは

東京に住まっている以上(好き嫌いは別として)慣れてもいる…と思ったのは油断だったようで。

 

いったい何がどう違うのかはわからないのですけれど、どうも東京で人の中を歩くのと勝手が違う。

なんとなれば、人との行き違いに右なのか左なのか、どちらにかわすにも東京ではソツなく行っているのに、

大阪では同じ状況にあってやたらに人とぶつかりそうになることばかり。

 

例えばエスカレータで左右どちら側に立つかといったことにこと大阪と東京で違いがあり、

郷に入らば郷に従えでソツなく対応できているなと思っていたのですが、

この混雑したひと中を歩くというだけのことで、何度も何度もぶつかりそうになった…とは、

これはいったいどうしたことなのだろうと。まったくもって謎に思えたものでありますよ。

 

幸いにして、このときの大阪行きではこの時以外に混雑の中に身を置かずにすみましたので

(だいたいからして観光にもかかわらず、いわゆる繁華な場所に行きませんでしたので)

滞在中ずっと謎に頭をひねり続けることはなかったものの、どうしてなんだろうとはいまさらながら。

文化というか慣習というのか、何かしら決定的に違うところがあるように思えてならないのですけれど…。