少しずつ少しずつ「和もの」への興味が広がる中、
かねて見たいものだと思っていた人形浄瑠璃を見てきたのでありますよ。
文楽というやつでありますね。
人形を使った芝居なわけですけれど、
その人形を操る人物がまさに舞台上にいて、当然のことながら視界に入ってくる。
これで劇の役どころを演ずる人形に、引いては芝居そのものに集中できようはずがない…てな
ふうに思っていて、かつては全く見たいとも思っていなかったという。
それが、TV中継か何かでしたろうか、見るともなしに見てしまったところ、
人形が実に細やかな挙措で演じている(当然にそのように人が操っているわけですが)ことに
驚いてしまったのでありまして。
以来何となく「いつかは見に行こう」との目論見を暖めていましたですが、
昨年末に講談
を聴きに言ったことを引き鉄に、目論んでいるだけでは実現しないと検索開始。
そもそもどこで上演されているものやも知らず、まずもって国立文楽劇場なるものが大阪にあり、
1月公演では近松門左衛門の「国性爺合戦」(鄭成功の話ですな)が上演されると知ったときには
「すわ、大阪へ!」とまで考えたものでありました。
ですが、公演期間中に大阪へ出かけることはどうにもままならないとさらに探りを入れたところ、
東京の国立劇場小劇場で2月に文楽公演があることに辿りつき、「これだ!」と思ったわけです。
で、この2月文楽公演は第1部から第3部まであって、
11時の開演から最終の終演予定が20時25分と(途中に休憩はあろうものの)
実に9時間半にも及ぶことから、「何と文楽とは長い公演時間であるか」、
「これで5900円とは安いものだ」などと、ものを知らないとはこういうことなのですなあ。
ご存知の方には失笑ものですが、第1部、第2部、第3部とは一公演も部分では無くして、
いわば昼の部、午後の部、夜の部とそれぞれ独立したものと考えた方がいいようで。
従って、それぞれが観劇料5900円、まあ、そりゃそうですよねえ。
となれば、どの回を見に行くかということになりますが、
第1部では「信州川中島合戦」という時代物にちょいと惹かれ、
第3部の「義経千本桜」はこれはこれで歌舞伎にもある有名作…と迷いに迷ったところながら、
結果的には「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)鰻谷の段」と
「関取千両幟 猪名川内より相撲場の段」という世話物二本が上演される第2部を取ることに。
先に感心した人形の細やかな挙措は、
おそらく世話物で描かれるところの人情の機微にも表れてこようかと考えたからでして。
ということで出かけていった国立劇場でありますが、小劇場とはいえ結構な大きさ。
こんな大きなところで人形劇(失礼!)をやるのかと、まずはそんな印象を。
で、懸念した「人形遣いがそこにいる」ということなんですが、人間の人体機能は偉大ですな。
始まってしまえば、時に人形遣いの存在を消すという脳内処理?が行われるのか、
人形の動きに集中し、また時にはむしろ人形遣いが操る様子に目を向けて
「ほ~お」と思うという具合で、全く気になることはない。
ざっくり言って上演された2本はいずれも、蓋を開ければ内助の功的な話の筋なのですけれど、
それだけに女性を象った人形の動きの雄弁さに見入るところがありました。
男性用に比べて女性の人形は顔の表情があまり大袈裟に操れない、
つまりは顔の部品が大きく動くようになっていないだけに一見無表情とも見えるわけですが、
それが顔の向き、頭の傾け方などで心理状態を描き分け、
分かりやすいところでは肩の震えで忍び泣きを表すといった細かさに
感心しきりとなるのでありますよ。
ただ、文楽を見るのも正面中央くらいの座席がやっぱりいいようですね。
まずは人形に着目していたがため、ほとんど舞台かぶりつきのような席を取ってしまいましたが、
初心者ともなれば大夫の語る浄瑠璃の理解には字幕に頼りたくなるところが、
舞台両サイドのかなり高いところに字幕装置があって、余りに前ではこれが見えない。
今度の機会がありますれば、ぜひとも正面中央くらいの席でと思うところながら、
「大入り満員」札止め状態とあってはそうは手に入らないのかも。
だいたい文楽公演にこれだけの人がくるのだということからして、
認識を改めなくてはいけんのですが…。