横浜山手の高台にあって、港の見える丘公園を背に歩を進めますとほどなく、

レンガ造りふうの外観を持つ趣きある建物が現れました。岩崎博物館とありますなあ。

 

 

岩崎という名前からしててっきり「三菱?」と思いましたら、

岩崎学園という専門学校を多く抱える法人による服飾関係を主とする博物館なのそうで。

ただ場所としては、居留地の外国人向け劇場として明治18年(1885年)に建てられた「ゲーテ座」の跡地とか。

 

後から手に入れた側もその地にふさわしい見た目を求められるところのある土地柄なのでありましょう。

もっともそうしたことは、一般に住む人たち(かなり富裕層のようですが)の住宅にも言えることでしょう、きっと。

 

とまれ、も少し進んでいきますと正面には深い谷が広がることになりますけれど、

横浜外国人墓地がこんな斜面にあったとは思いもよらぬことでありましたよ。

 

 

外国人墓地の谷に切れ込む尾根筋沿いに歩いていきますと、木造洋館を利用した山手資料館、

そしてどっしりした石造りの山手聖公会と特徴ある建物が続きます。

 

 

すべてに立ち寄る余裕のないのが残念ですが、ちと覗いてみたのはその先にありました山手234番館。

先に見た山手111番館は個人の邸宅でしたけれど、こちらは外国人用の共同住宅ということです。

 

 

中へ入ってみますと、先に見たイギリス館でもそうでしたけれど、クリスマス的展示の名残といいますか。

こちらはまだ進行形だったかもですが、なぜかポーランド風クリスマスのしつらえであったような。

「なぜポーランド?」とは思うところながら、それはともかくも、です。

 

 

 

書き記すのが1月半ば過ぎとなってはなおのこと季節外れ感満載になってますが、

洋館にはフローリングが似合い、フローリングの床でこそクリスマスツリーの室内飾りがよく似合う。

日本でもクリスマスはすっかり馴染みにはなってはいるものの、

やっぱりいろいろな意味で文化の違いのあるところのものがオリジンだと思ったりしたものでありますよ。

 

ところで全く藪から棒の話のようですけれど、ピアノや管楽器なども作っている「ヤマハ」は

すっかり世界のYAMAHAになっていようかと思うところですけれど、そのヤマハが実は山葉であったとは

ここ山手234番館を訪ねるまでちいとも知りませなんだ…。

 

リビングの片隅に置かれた古いオルガン。

なんでも昭和13年頃に製造されたらしい「山葉8号」という足踏みオルガンだということで。

明治22年(1889年)に設立された山葉風琴製造所というのが今のヤマハの元なのだとか。

 

「果たして創業者の名前であったのか?!」という点では

「CASIO」を創業したのが樫尾さんだったのを知ったときと同じくらいのインパクトでありました。

あちこち訪ねてみるといろんなことを知ることになりますなあ。

山手234番館ではそんなふうにも思ったものでありました。