木立ちに近いリストハウス からバス停ひとつ分ほどの距離を町なか方向へ戻りますと、
そこにはヴァイマール大公妃アンナ・アマーリアのサロンに集ったもう一人の文化人、
クリストフ・マルティン・ヴィーラントの名を冠した広場があるのですな。そしてヴィーラント像も。
といって、はてヴィーラントとは?思うところですが、Wikipediaには
「ドイツの古典主義時代において重要かつ大きな影響力を持った人物の一人」とあり、
しかもゲーテやシラーと並び…とあるからには、いかにもワイマール宮廷のお声掛かりが
ありそうな人物ではなかろうかと。
ですが、この広場のところまでまいりましたのは、
(申し訳なくも)ヴィーラントとの対面を目論んだゆえではありませんで、
ひょいと路地に入り込んだところにこそ目的地があったのでありますよ。
といって、こんな入口だけ切り取ってもなんのことやら?ですけれど、
とても全体像をおさめにくく、そそくさと近付いてしまったために入口だけになってしまったと。
ここはゲーテハウスの入口なのですけれど。
つうことで、平面図を見てみれば、こんな具合です。
真ん中に1023と番号のふられた建物がゲーテハウス。
右上側に湾曲した路地の先にはヴィーラント広場がありまして、
へんてこな形ながら結構な広さがあるようです。裏庭もありますのでね。
先に宮廷劇場前に並び立つゲーテとシラーの記念碑 を見たですが、
ともにアンナ・アマーリア大公妃のサロンの常連であってワイマールでは厚遇されたと思うも、
シラーハウス を訪ねて小ぢんまり感を抱いたのとは打って変わって、
ゲーテは大きな館を与えられていたのですなあ。
ま、小なりとはいえ一国の宰相ですものねえ。
ですが、ゲーテ自身、招きを受けてワイマールにやってきた当初は
さほど長居をするつもりではなかったようですね。
それが結果的に定住して宰相まで務めるということになったのは
邸宅なども含めて、さまざまな面での厚遇があったことでしょう。
この館のほかに(リストハウスの先にある森の奥に)ガーデンハウスも与えられたようですし。
もちろん、ゲーテがそうした物質的な側面だけでワイマールにとどまったとは思いませんが、
宮殿のよう…とは言わないものの、この場所としては他に比べて破格の広さの館であった
とはいえそうです。とまれ、中に入ってみることに。
受付を済ませて階段を上がりますと、そこには「SALVE」と書かれた敷物が。
ラテン語で「こんにちは」の意だそうで。
この入口がたくさんの賓客を迎え入れたのでありましょうか。
サロンは広く、ピアノも置いてあります。
ゲーテは詩の人だけに、音楽では器楽よりも声楽志向だったようですけれど、
ここではどんな音楽が奏でられたのでしょう。
進んでいくと、部屋はだんだんとプライベート色が強くなっていきます。
書斎というよりは研究室といった趣きの一室。
科学にも造詣を深めたゲーテだから…と、そんなふうに思ってしまうのかもです。
左手には立ったまま書き物ができそうな家具が。ゲーテは立ち机愛用者ですものね。
と、寝室までめぐって今度は裏庭に出てみます。
考え事をしたりするにも、こういった場所があるといいですよねえ。
とまあ、こうした邸に住まいつつ、また裏庭を散策しながらゲーテは
シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人への数多くの詩や手紙の想を練ったのでありましょうか。
一国の宰相ながら政治の世界のみにとどまらないゲーテに思いをめぐらすのでありました。