さて、ワイマールの町はずれ、木立の広がる一角にこぢんまりと佇む一軒の邸宅。
こちらが、1848年から59年までワイマール宮廷楽長を務めたフランツ・リストの住まいでありました。
フランツ・リスト といえばピアノの魔術師、超絶技巧のピアニストで
長い髪をさらりとなびかせながら演奏するその姿に女性ファンは卒倒…てな印象かと。
ちょうど映画で見たパガニーニ さながらだったのだろうなあと思うところですけれど、
どうやらリストはパガニーニに感化されたようでもありますので、
さしずめアイドルの人気ぶりに触発されてアイドルを目指す少年のようであったのかも。
ですが、音楽の才能のほどはただアイドルへの憧れにとどまらないものがあったことは
後世に残された作品が語ってくれておりますなあ。
今でも演奏される曲は数多あるわけですから。
さはさりながら、いわゆるアイドルと目された人が気付いてみれば性格俳優になっていた…
てなこともありますように、いついつまでもアイドル的な存在でばかりもいられない。
そうなったときにどういう方向に進もうかとはおそらく悩ましいところでありましょう。
そんなときにリストは、ちゃらちゃらした人気はもう十分、次は落ち着いて音楽と取り組みたい、あわよくば宮廷楽長といった歴とした肩書付きで…てなふうに思ったのかもしれません。
時にリスト、37歳。微妙な年頃ともいえましょうか。
しかしまあ、それにしても宮廷楽長とはいささか古風な印象も。
モーツァルトの時代ではありませんものね。
ベートーヴェンあたりが切り拓いたといっていいのか、
フリーランスの作曲家、演奏家でも成り立ち得る世の中になっていたでしょうし、
リストくらいの知名度ならばなんとかなったようにも思うところですが。
とにかく、1868年にリストはワイマールにやって来ますが、ここはそのときの家ではなくして、
その後ローマに移ってカトリックの信仰に深く沈潜し、再びワイマールに戻った1869年から
亡くなる年である1886年までを過ごしたのが、このリストハウスなのだとか。
ですから、まずリストと聞いて思い浮かべるイメージとこのこぢんまりとした家が
いまひとつしっくりこないのもむべなるかなではなかろうかと思うところです。
サロンには、実際にリストが弾いたというピアノが置かれ、
奥の壁にはベートーヴェンの肖像画が飾られておりました。
リストは11歳のとき、師匠のチェルニーの仲立ちで
老境にさしかかったベートーヴェンに面会する機会があったのだとか。
(ご存知のようにチェルニーはベートーヴェンの弟子でもあり)
ただでさえ気難しいベートーヴェンはフランツ少年に励ます言葉を掛けたようで、
このことはリストにとって一生の良き思い出となったようなのですね。
後にベートーヴェンの交響曲全9曲をピアノ用に編曲したりしたのも、
こうしたことがあったからこそのオマージュであったのかもしれんと思ったものでありますよ。
それにしても、居住スペースは至ってシンプルな印象ですな。
ベッドのまくら元には宗教画がかかっておりまして、
やはり深い信仰生活を経験したのちなれば…というような気もしました。
で、この住まい部分は建物の2階なのですけれど、1階部分は資料館になっており、
受付で借りるヘッドフォンを、壁面のそこここにあるジャックに差し込むと
リストの作りだした音楽のあれこれを聴くことができるようになっておりましたよ。
ですが、そんな展示の中でやはり目を奪われましたのは、話に聞くリストの手の大きさですな。個人的にはどちらかというと小さい方なので、「こんな手のでかい人、いるんだ?!」と。
まあ、これだけでは比較対象がありませんので、ぴんと来ないかもですが、
ともすると特定部位が極端に大きいことでいじめられたりもしそうなくらいながら、
リストにはピアノという活かす道があって、良かったですなあ。
とまれ、リスト晩年のおだやかな生活ぶりが窺えるリストハウスなのでありました。
るわけでして、ああ