と、ヴァルトブルクの城内ガイドツアーは祝祭の間
で一応お開き。
そこからは渡り廊下で繋がる代官屋敷へと進み、各自で見て廻るようになります。
先に見た煌びやかな装飾の部屋々々(もちろん修復でそうなったわけですが)とは違い、
こちらの方は板壁そのままの質素な造りの部屋が現れるのですね。
ちなみにここはロバの御者の部屋ということで。
町から城まで清水を運びあげるのにロバを使っていたようなのでありますよ。
そうした関係があるからなのか、城から下ったバス乗り場に近いあたりには
ロバの宿駅のようなものがありましたですよ。
榛名湖のトテ馬車ではありませんが、もしかすると山頂の城までもうひと息の坂をロバに乗って進むなんつうこともできたのかも。機械に頼らないバリアフリーですな。
また、そこの前に出ていた屋台では
ロバをラベルに使った「Schwarzer Esel」(黒いロバ)なる黒ビールを扱っておりましたですよ。
これと一緒にかぶりつく名物のテューリンガーブラートヴルストがでらうまでしたなあ。
軽い昼飯にうってつけであったかと。
…と、すっかり話は横道に入り込んでしまいました。
話を戻してロバの御者の部屋から先へ進みますと、
いよいよマルティン・ルター
の部屋にたどりつくわけですが、入口はこのような。
ロバの御者の部屋よろしく質素な造りは、
かつて牢獄にも使われたときけばなるほどとも思えるような。
それだけにルターは匿われたというよりも幽閉されていたのではという気が
してくるところでありまして。
とまれ、ルターは1521年から22年にかけての10カ月ほどをこの部屋で過ごし、
新約聖書のドイツ語訳に取り組んだのですなあ。
そして、このルターの事績は各地で地域地域の言葉が使われたところへ
「ドイツ語」という統一的なるものを持ち込んだこともあって、
先に触れたようにドイツ統一を求めるブルシェンシャフトの運動は
主教改革300年祭の主な舞台となったヴァルトブルクで展開することにもなるわけで。
ですから、順路の最後にたどりつくミュージアムショップにも
ルター関連の品がざくざくとあるのですよねえ。
とまあ、かようにあれこれに思いを巡らしながら見て来たヴァルトブルク、
そこからの眺望も相俟って、実に実に訪ね甲斐のあるところであったなあと。
満足感といいますか、そんな気分を抱きながら山を下りたのでありました。