アイゼナハ旧市街の出入口にあたるニコライ門

DBの駅から駅前通り(Bahnhofstr.)をたどってニコライ門をくぐりますと
そこからがアイゼナハのいわば旧市街でして、写真は旧市街側から見てますけれど、
左手にはカールス広場という、ヨーロッパらしい広場がありまして、
真ん中にはいかにもな形で銅像が建てられているのですな。


マルティン・ルター像@アイゼナハ・カールス広場

どこで見かけてもその顔付き、姿かたちからバッハ よりも特定しやすい(?)と推測される
マルティン・ルター その人でありますね。


先にも触れましたようにルターはアイゼナハのゲオルク教会学校に学び、
その点ではJ.S.バッハの大先輩にあたるわけですけれど、
やはり聖歌隊に属して町の中の門々で聖歌を歌い、喜捨を得たりもしていたようで。
像の台座部分にも少年時代のルターの姿が見られます。


少年時代のルター(カールス広場のルター像台座より)

ではありますが、ルターとアイゼナハとはその後、
さらに大きな出来事でつながることになるのですよね。


1517年、ヴィッテンベルクの城教会に「95か条の論題」を貼り出したルター、
1522年にはヴォルムス で開催される帝国議会に召喚されて、
神聖ローマ皇帝カール5世 から考えを改めるよう求められるも自説を枉げず、
そのためにルターは帝国内で法の庇護を受けらないことになるという。
つまりは殺されようが、どうなろうがいっさい知ったこっちゃないよというわけです。


ルターには神さまという拠り所がありますから、怖い者無しだったかもしれませんが、
領内に戻ってうろうろされては危なっかしくてしょうがないですから、
ザクセン選帝侯フリードリヒ3世は「ルターは行方不明なった」ということにして、
アイゼナハのヴァルトブルク城内に押し込めてしまうのですなあ。
(もそっと前向き、積極的にルターをかくまったとも言われますけれど)


城内にあって動き回ることもままならずとなれば、やれることは限られる。
そうだ!とばかりに始めたのが「新約聖書」のドイツ語訳であったのかもしれません。
カールス広場の像の台座には翻訳に励むルターの姿を見ることもできます。


ヴァルトブルク城内で聖書をドイツ語訳するルター(カールス広場のルター像台座より)

やがてこのドイツ語訳聖書が広まることで、
地域的にまちまちであったところに共通語的なドイツ語が誕生することにも
なったようですなあ。


ということで、ルターと大いに関わりのあるアイゼナハの町。
ルター像のあるカールス広場から人出の多い賑やかな通りを抜けて進みますと
ほどなくマルクト広場に到着。


アイゼナハのマルクト広場

いかにもマーケット広場らしい光景ですけれど、
これを囲むように先にも触れましたゲオルク教会があったり
市宮殿があったりするのですね。市宮殿の方はかつて
ザクセン=ヴァイマール=アイゼナハ大公のアイゼナハでの住まいであったそうでありますよ。



こちらもやはりマルクト広場に面した市庁舎、そして手前には噴水が。
ゲオルク教会の前でもあるだけに、噴水の上にあるのは聖ゲオルギウスのドラゴン退治かと。


「聖ゲオルギウスのドラゴン退治」の噴水@アイゼナハのマルクト広場

と、ふと気付いたことには、ルターがヴァルトブルク城に身を隠していたときに
用いた偽名が「Junker Jörg」なのですよね。
これは騎士イェルク(ヨルク)と言われますが要するにゲオルクのことであるとなれば
もしかしてこの変名はゲオルク教会や聖ゲルギオスと関係あってのことでありましょうか…。


まあ、こんなことを考えつつマルクト広場を抜けて間もなく、
アイゼナハのルターハウスに到着となるのでありました。