…ということで、メヘレンの探訪に出かけるわけですが、

まずはマルクト広場に並ぶ3棟の市庁舎 のうちの一番左手にある建物の脇を進みます。

やがて道が広くなり、ちょっとした広場に到達しますと

「Standbeeld Vadderik」というモニュメントに行き当たりました。


Standbeeld Vadderik@メヘレン


遠目にも三叉槍を携えているのが分かりますので、
ほぼほぼポセイドン(ネプチューン)の像に間違いないと思うところですが、
海の神として知られるポセイドンはWikipediaにあるとおりに
「地下水の支配者」、「泉の守護神」でもあるということ。


ご当地メヘレンの彫刻家であるフランス・ランゲマンスによって1718年に造られたこの像は
本来的には水を組み上げるポンプの一部と聞けば、まあ納得と言いましょうか。


ですが「Vadderik」とはフランデレン語(オランダ語)でどうやら怠け者を表すらしいのですな。

どうも印象としては荒ぶる神と映るポセイドンは怠けものだったのでありますかね…。


Sint-Pieter-en-Paulkerk@メヘレン


と、そんなポセイドン像のある広場に面して建っているのが「Sint-Pieter-en-Paulkerk」。
聖ペテロと聖パウロの名を併せ持つ教会はオステンド でもお目にかかりましたが、
聖人の好みにも土地柄が関わるのでありましょう。


とまれ、1669年からイエズス会によって建築が始められたというこの教会は

とある説明によれば「豊富な絵画コレクションのほか、樫の木で作られた14もある懺悔台、

見事な彫刻が施された説教台がみられます」とあったものですから、

どれどれと中へ入ってみたわけですが、日曜日の朝だけにミサの真っ最中だったですかね。



こそっとお邪魔にならんように一枚だけ堂内を写真におさめたですが、

いかにもバロックなたっぷりした装飾。もそっと近寄ってみたいところでしたけれど、

本来の用途で使われている場所にちょろちょろするのは憚られた次第でありますよ。


お次は教会に向かって道を右に折れ、

少々進みますと「Paleis Margaretha van Oostenrijk」が右手に。
「Margaretha van Oostenrijk」とは現地語で、一般にはフランス語でもって
マルグリット・ドートリッシュと呼ばれているようですね。


神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の下、メヘレンにはネーデルラント総督府がおかれてとは

先に申しましたですが、その総督となったのが皇帝の娘マルグリットなのでありました。

マルグリットは後に神聖ローマ皇帝カール5世となる甥っ子の養育にも携わったとのこと。

それにしても、総督としての宮殿というには実に地味な建物でありますな。



現在は裁判所になっていて建物には入れないものの、

中庭には入れるという情報を小耳に挟んでいたものですから、ここもまた閉まっている。

どうもメヘレンではあっちもこっちも閉まっているというのをこの後も経験するのですが…。



一方こちらは「Paleis van Margareta van York」。

イングランド王家からブルゴーニュ公に輿入れしてきたマーガレット・オブ・ヨークの宮殿です。

マルグリット・ドートリッシュにとっては父の後添えで育ての親という関係ですね。


いずれも(英語読みで)マーガレットという名前なだけに、

ヨーク家のとか、オーストリア大公家のとか、出自を名前に添えているのでしょう。

ヨーロッパ史を見るときにややこしさを感じる一端ではありませんでしょうか。


とまれ、マルグリット・ドートリッシュの宮殿に比べて

マーガレット・オッブ・ヨークの宮殿の方が宮殿らしさで少々勝っているような。


二つの建物はほぼ斜向かいの位置関係ですが、が養育した後にカール5世がとなる少年は

養育者たる叔母マルグリット・ドートリッシュの目の届く場所ということで

多くの時間を過ごしたのはこちらの宮殿であったということですので、

見た目の違いは帝王教育の場であるかどうかの違いということにでもなりましょうかね。


と、メヘレンにあった栄華のときの痕跡を垣間見て、メヘレンの街なか歩きはさらに続きます。


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