この場に臨むと、あたかもEテレ「100分de名著」
のオープニングのように
本がわらわらと飛び交ってきそうな気がしますですねえ。
東洋文庫ミュージアム
を訪ねたのでありまして、
現在は「漢字展-4000年の旅」が開催中なのでありますよ。
最初のコーナーでは、まずもって世界で使われている文字には
実にいろいろなものがあるなあと。ただし、話される言葉、
すなわち「言語」の数ほどには「文字」の種類はありませんですね。
「文字は新しい言語に適用されたり応用されたりすることで、
残ってきたものもあれば消滅したものもあ」るというわけで。
楔型文字がメソポタミアで使われ始めたのが紀元前3100年頃、
エジプトのヒエログリフも同じ頃使われだしたということですが、
地域ごとに最古の文字を確認できる年代はといいますと、
インダス文明では紀元前2500年、クレタ島では紀元前1900年、
そして中国では紀元前1500年であるとか。
楔型文字の発明と地域ごとの文字の誕生とに年代的な開きがありますけれど、
「楔型文字がゆっくりと各地に広まり、それを元に、漢字を始めとする
新しい文字が開発されていったのではないか」という説もあるのだそうです。
確かに漢字の起源は亀甲獣骨に刻んだ「楔」のような形であるとして
繋がり無きにしも非ずという気もしてきますですね。
各地の「文字」が先例を真似たりしつつ、独自化していったかもしれない流れを思うとき、
例えば「西夏文字」などは読めそうで読めない漢字を作り出してみたものの、
結局のところ受け継がれてはいかなかったのだなあと思ったり、
はたまた現在にも続く「トンパ文字」は象形文字の伝統を色濃く温存しているとも。
そう考えると、現在も使われているいくつかの文字というのは、
いわば文字の勝ち組で、漢字もその中のひとつであると言えましょうかね。
ところで、この蒼頡(そうけつ)なる人物をご存知でしょうか。
「古代中国で漢字を発明したとされる伝説上の人物」だということですけれど、
非常に鋭い観察力を持っていたこと表すために、目が四つも描かれているのですなあ。
中国の伝説上の統治者であった三皇五帝のうち、最初の帝・黄帝に仕えたとされる蒼頡、
あるとき狩りに出かけたところ、足跡の違いで動物の違いが分かることに気が付いたという。
当時はさまざまな記録を縄の結び目でもって表し残していたそうなんですが、
これがなかなかに大変な作業。これをそれぞれに意味付けした記号で合わせば、
便利だろうと思い付いたというのでありますよ。
それが紀元前25世紀頃のこととはされるも、最古の漢字として甲骨文字が確認できるのは
殷の時代の後期(紀元前17~11世紀頃)だそうですから、もはや蒼頡の考案した文字とは
違ったものになっていたかもしれませんですね。
時代の違いはもとより、中国は国土も広いものですから、
ひとつの文字が伝えられるにしてもさまざまなバリアントが生じたことでしょう。
これを統一しようと最初に考えたのが秦の始皇帝であったとか。
その形が「小篆」なのだそうですが、「篆書」って今にも伝わっているのですよね。
なんと息の長い文字であることか。
文字の統一は国内での情報伝達などが速やかに行える点で画期的だったのですが、
速く書くには向かない字体だということで、筆記体としての「隷書」が使われるようになる。
ただし、速書きに向くのと読みやすいのとは相容れないところがあるわけでして、
隷書はさらに早く書ける草書に移行するも、どうにも読みにくいと思われたか、
行書、楷書と読みやすさの揺り戻しが起こるのですなあ。
前にもどこかに書いたことがあったように思いますけれど、
漢字の字体はまずかっちりした楷書があって、そこに書きやすさ優先の要請から
行書、草書ができたのではないかとばかり思っておりました。
実際には全く逆で、草書、行書が使われ始めたのは漢の時代、
楷書の登場はそれより200年ほど遅いのだということでありますよ。
それでもどの字体を正式とするかを考えたときには、読みやすさが優先されましょうね。
例えば科挙の答案などはきっちり誤解の生じないように書かれていないと
採点ミスに繋がりかねませんから。
これは清代の科挙の答案だそうですが、実にくっきりした字ではありませんか。
「この時代、文字の巧拙によって人物を評価することもあったそうです」となれば、
知識の習得ばかりでなく、習字の練習も怠りなく取り組んだことでありましょう。
とまあ、このような漢字が長い歴史の中で中国から朝鮮半島や日本、
はたまたベトナムなどにも伝播して…という展示解説が続いていくのですけれど、
取り敢えずここまでのところでもそれなりに興味深い内容の展示であったなと思う
東洋文庫ミュージアムの企画展でありました。