前日はみぞれの降る寒い寒い中で「赤の広場
」に立ち寄りましたけれど、
広場の一片を塀で囲ったその向こうに「クレムリン」があると申しました。
かつての冷戦時代には米ソ対立の象徴として、方やホワイトハウス、方やクレムリンがあった…
てなふうに受け止めるところながら、そも「クレムリン」という言葉は
(本来のロシア語では「クレムリ」で「クレムリン」は英語としての単語らしい)
城壁を意味する普通名詞であるのだそうな。
まあ、ホワイトハウスといって単に白い家を指すのではないのと同じ捉え方なのでしょうけれど。
さて、夕刻には帰国便に乗るというモスクワの最終日、そのクレムリン探訪へと出かけた次第。
入口は赤の広場とは反対側に設けられておりました。
ぐるり巡らされた城壁にへばりつくようにある小さな建物は
あたかも全面に落書きをされて放置されているやにも見えますが、実はチケット売り場とか。
まずはここで入場券を買ってとなるところながら、こういうときだけは団体の便利さで
そそくさと入場待ちの行列の方へ行けるのですなあ。
クレムリンを日本の城に擬えるならば、ここは空堀とでもいいますか。
今は公園になっていて、あたかもクレムリン入場待ちの人たちが行列を作るためにあるような、
そんな場所になっておりますよ。
入場ゲートで軍人なのかな?と思しき人たちから荷物検査などを受けた後、
この高く聳え立つトロイツカヤ塔を潜って城壁内へと入ります。
ちなみに塔のてっぺんに取り付けられているのは「クレムリンの赤い星」と言われるもの。
帝政ロシア時代は双頭の鷲
だったものを、ソ連になって赤い星に取り換えたそうでありますよ。
城壁内にはさまざまな種類の建物群が建ち並んでおりますが、
ひとつは現在も使われている行政関係の建物でして、こちらがロシア連邦大統領府。
日頃はプーチンが居るところということになりますね。
もうひと種類は教会です。
クレムリンの中にはロシアらしいタマネギ屋根の教会がいくつもあるのですなあ。
左はイヴァン雷帝の戴冠式が行われたというウスペンスキー大聖堂、
右はブラゴヴェシチェンスキー大聖堂、歴代のツァーリが懺悔を行う場であったということです。
同じタマネギを戴いていても、極端に背高のっぽなこの建物(81m)は鐘楼でして、
「大イヴァン」と呼ばれているそうな。ただし、皇帝のことではなくして
聖者ヨハネ(ロシア語的にはイヴァン)の方だそうですが。
でもってこの巨大鐘楼の足元に、これまた巨大なものがあるのですよね。
「鐘の皇帝」と呼ばれておるということでありますよ。
見るからに巨大な鐘ですけれど、こういうのを造ろうとするのも国家威信でしょうか。
1733年から1735年にかけて製作されたそうですけれど、時に皇帝はアンナ女帝の時代。
貴族の傀儡となることを嫌い、専制をふるう中で自分のロシアの強大さ、大きさを
内外に示したかったのかもしれませんですね。
しかし、この巨大な鐘は重すぎて鐘楼に吊り下げることができないまま、
火災に遭って、ここに見るように大きく欠けてしまったのだとか。
なにやら教訓めいた展示とも言えそうな気がしますですなあ。
と、クレムリンには鐘の皇帝のほかにもうひとり?皇帝がおりまして、
こちらになります。大砲の皇帝と。
ギネスブックにも載っているという世界最大の大砲ということながら、
こちらも鐘の皇帝同様に一度も使われていないのだそうでして。
本来はクレムリン防衛のために造られたとはいえ、
やはり国家威信を示すためでありましょうね。
ところで、城壁内で一般にいちばんの見どころは「武器庫」と言われますですね。こ
れは武器コレクションを見るということでなしに、
ロシア帝室のコレクションを展示する建物がかつて武器庫だったからというのようで。
宝飾品をはじめ、さまざまに煌びやかな品々が展示されていますが、中は撮影禁止です…。
とまあ、そんな具合に巡り歩いたクレムリンですけれど、
お帰りは入口と反対側のスパスカヤ塔の下をくぐってどうぞと。
でもって、ここを潜り抜けた先は前日にも訪ねた「赤の広場」なのですが、
これだけ天気がいいと見え方もずいぶん違うことでありましょう。
そのあたりはこの次に。









