シネマ歌舞伎を毎月1本ずつ公開する「月イチ歌舞伎」の2019年度シーズンが開幕、

一本目の演目「野田版 桜の森の満開の下」を見てきたのでありますよ。


シネマ歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」

タイトルにある「野田版」とは野田秀樹演出の意でありますが、

本作に関してはそもそも野田秀樹の作であるわけでして、

見たところ歌舞伎という以上に野田秀樹の芝居を見る感覚でもありましょうかね。


それだけに野田芝居に馴染んだ方ならば「歌舞伎バージョンもまた一興」と
受け止めやすいのかもしれませんけれど、逆に歌舞伎に寄った側から見てみますと、
いささか戸惑いを隠せない気がしないでもないのですなあ。


坂口安吾の原作をどの程度踏まえて作劇したのかは分かりませんけれど、
おそらくそのセリフのありようは実に独特なものでして、
大袈裟に言えば野田秀樹はこの芝居でもって日本のシェイクスピアたらんとしたのかもと。


時代背景は壬申の乱前夜といったところでしょうか。
天智天皇の崩御が近く、その後に指導者たらんとした大海人皇子が
闇の世界に封じ込められたが鬼たちを解き放って味方につけ、戦いに臨もうという状況です。


こうした古典的なところを背景として、地口や掛詞を多用した台詞が早口に展開する。
ああ、シェイクスピアだなとも思う由縁なのでありますよ。


一方で、歌舞伎らしさを醸す要素として七五調の台詞回しも使い、
現世から鬼の世界に転落した登場人物に「ああ、七五調の台詞がしゃべりたい」てなことを
言わせて笑わせる側面も。ただ、笑えるかどうかはそれぞれと思いますけれど…。


大海人皇子と思しき人物オオアマを演じているのは松本幸四郎(当時は市川染五郎)ですが、
主役らしき登場人物には中村勘九郎、中村七之助が当てられている。

以前、やはりシネマ歌舞伎で「法界坊」 を見た時に彼らの父親に当たる中村勘三郎が
客いじりを含めた即興をふんだんに盛り込んで、その会場での盛り上がりはひとしおながら
収録映像で見る限り、着いて行きにくさを感じたのと同じようなところがあって、
いわば中村屋の芝居の個性でもあるかなというあたり、今回の作品を見ても思うところです。


これまで公開されたシネマ歌舞伎の中にも(見てはいませんけれど)
「研辰の討たれ」や「鼠小僧」のように野田版として中村勘三郎を主演に作られた作品があり、
中村屋の芝居なのだなという思いを強くしたりもするのですね。


歌舞伎も決して古い演目を再演するばかりでなく、古典ではありながらも

現在進行形の舞台芸術として果敢にさまざまな題材を取り上げていることを

前向きに受け止める必要はあるものと思う一方で、歌舞伎が歌舞伎たる様式性といいますか、
そことの両立がどんなふうに実現できるかはとても大切なことだろうと思うわけですが、
その微妙なバランス如何では単に歌舞伎役者の出る芝居になってしまう気がしないでもない。


ですが、それをまた是とするか非と受け止めるかは人それぞれであるものの、
勘三郎や野田秀樹の軸足の置き所は歌舞伎という領域の縁を綱渡りしているところなのかもと
個人的印象としては思うところでありますよ。


まさに受け止め方は人それぞれという中でこの綱渡り感を楽しんで見る人もいるでしょうし、
一方で「う~むぅ…」と思う向きもありましょうね。
たまたまにもせよ、物語そのもののまとまりと整合が今ひとつに思えたことが
個人的に後者の受け止め方につながって要素のひとつでもあるかもしれません。


月ごと1作ずつ公開されるシネマ歌舞伎の5月はこれまた意表を突く作品でして
「ワンピース」(あの漫画の…といって予備知識ほぼ無しですが)なのですな。
これはこれで楽しみにしておられる方もおいででしょうけれど、
6月の玉三郎 登場までしばし待機することにいたします。