美術館でお花見をと時季を狙っていたわけではないのですけれど、結果的に。
行こう行こうと思っていた奥村土牛展@山種美術館に、
会期終了目前でようやっと出かけたのでありました。
山種美術館 のコレクションを築いた山崎種二は奥村土牛と関わりが深かったようで、
同館には土牛作品を130点余りも収蔵しているそうな。
画家の生誕130年記念の回顧展(と同時に美術館の広尾移転10周年の特別展)として
今回はそのコレクションの中から60点ほどが展示されているということなのですね。
会場ではまず、フライヤーにも使われている代表作のひとつ「醍醐」と対面に及びますので、
否応なくお花見気分にもなろうてなものでありますよ。
とはいえ、予て土牛作品で気にかけておりましたのは
もっぱらその画面構成といいますか、景観の切り取り方なのでして。
まさにこの「醍醐」も京都・醍醐寺三宝院の枝垂れ桜を題材にしているわけですが、
ふと気づけば、画面の中で桜の花は決して大きな場所を占めてはいないのですよね。
土牛曰く、この桜に「極美を感じて」描いたというものの、
どうやら土牛が「極美」と感じたのは必ずしも咲き誇る花ではなかったのかもしれませんなあ。
あるいは枝振りの様式感ですとか、あるいはごつごつでこぼこした幹に映るさまざまな色合い、
はたまた土塀の白との対比の妙に関心が向けられていたのかなとも。
桜を描いた作品としてはもう一つ「吉野」が展示されておりましたですが、
吉野といえば夙に有名な桜の名所ながら、その吉野山を描いて
それとわかる桜は右下の一本きり。
あとは春霞でおぼろになった山なみが奥へ奥へとひろがるばかりとは、
土牛の目の付けどころには単に美しい景観を写し取るというのでないものが
あるように思えるのでありますよ。
その点では、以前TV東京「美の巨人たち」で紹介されていた姫路城を題材にした二作、
「城」と「門」も本展で実物を目の当たりすることができましたですが、
白鷺城と言われて美しい城の代名詞のような姫路城を描くのに
「あえてここ?」という印象はぬぐい難いものがある。
ですが、「それじゃあどうもね…」という作品になってしまっているかというと、
そうではないところが土牛の目の付けどころですし、そこには「何かある」と
読み解きをしたい気分に駆られたりもするわけです。
「無難なことをやっていては、明日という日は訪れてこない。毎日そう考えるようになっていた」
とは66歳の土牛の言葉。さらに歳を重ねて84歳の土牛は
「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである」と言ったとか。
最晩年、98歳の作品である「山なみ」を見ると、なお新しい試みを続けているようであり、
一方で若い頃に師匠の小林古径に買ってもらったらしいセザンヌの画集に影響された要素が
このときにも顔を覗かせているようでもあり、とにもかくにも読み解きの楽しみを与えてくれる
奥村土牛の作品であるなと思う展覧会なのでありました。