昼食・休憩をとったいつき茶屋 のすぐ裏側には
明治36年(1903年)に建てられたという石碑がありまして、
「斎王御舘之遺蹟」と文字が刻まれているということで。
その当時は「斎王の森
」が斎宮の中心と考えられていたわけですから、
あたかも斎王の森へと続く参道に面して建てたといった感じでありましょうか。
実際は石碑があるのは御舘区画という部分でして、
その東隣の柳原区画に役所機能である「斎宮寮」があり、さらにその南側、
丁度近鉄の線路が横切っている色付きのふた区画に斎王がいる内院があったそうでありますよ。
どうせ建物を再現するのなら内院の場所にと思うところながら、
何とも残念なことに近鉄の線路がある。
まあ、その近鉄に乗ってここまでたどり着けたのですから、
とっぱらってなどと乱暴なことはいえません。
そこで、柳原区画に斎宮寮を再現してみようかとなったのですかね。
3棟の建物を復元し、「さいくう平安の杜」との名付けがされておりました。
発掘調査の成果をもとに
「斎宮の歴史上で、最盛期と考えられている平安時代前期(9世紀前半)」のようすを
再現しているということでありますよ。
正面のいちばん大きく立派に見えるのが「正殿」で、斎宮寮の中心的な建物。
東側には簡素なだけあって儀式の準備などをするために用いられたという東脇殿。
そして西側は「大人数の儀式などに使用した」西脇殿ということになります。
ところで、これらの建物に共通するのは礎石の上に建っていない、
つまりは掘立柱で造られているのですなあ。
以前、掘っ立て柱の建築物は要するに「掘っ立て小屋
」と言われるように
安普請の代名詞てなことに触れたですが、
斎宮の建物は、そんな掘立柱建物だったわけです。
発掘調査で柱穴がたくさん見つかるのもむべなるかなでありますね。
しかし、それにしてもあまりに穴だらけではないかと思うところながら、
「斎宮が存続した660年間の間に、何度も建て替えられていたため、
その集積として柱穴の数も多くなった」と説明されれば、
なるほどと伊勢神宮のように式年遷宮があったとは聞きませんが、
折にふれて斎宮は建て替えかれていたというわけですなあ。
と、こちらは再現建物のすぐ南側の区画で、本来は斎王のいた内院があったとされる場所です。
ご覧のように近鉄の線路が区画のほぼ中央を横断していて、建物の再現はありませんが
見つかった柱穴の場所を示す列柱がずうっと続いている。
規模の大きさは伝わってきますですね。
とまあ、あちこち巡って斎王と斎宮に思いを馳せるひとときは終わります。
先にいつき茶屋で休憩した折、お店の人からに「お伊勢参りのついでですか」と
尋ねられました。
「いえいえ、このために来ました。お伊勢さんはついでです」と答えますと、びっくりしたようす。
個人的にはこうしたところの方がよほど歴史ロマンを感じる気がするものですから、
全く驚くにはあたらないのですが、うれしそうにもしてたのがなおのこと
「来た甲斐あった」感を増してくれたような気がしたものでありました。
さて、平安時代の復元という幅広の道を近鉄斎宮駅へ戻り、
伊勢市駅へと移動にかかることにいたします。









