東京・白金台の畠山記念館で開催中の冬季展
「光悦と光琳-琳派の美」を見てきたのでありますよ。
以前、訪ねたとき
に見て「おおお!」思った本阿弥光悦作の赤楽茶碗「銘雪峯」、
フライヤーでも上の部分に大写しになっているこの茶碗をもう一度見たいと思ったのと
また別に(個人的に鑑賞対象としての)掘出物に出くわすかなという期待もあって
再訪に及んだのでありますよ。
今回、五反田駅から歩いてさほど遠からずと気付くことになりましたが、
それはともかくとして早速に光悦の茶碗をじっくりと。
解説にもありますとおり、底の部分の丸みが勝ち過ぎているですとか、
高台も妙にめりこんだふうであるとか、器としてのいびつさは確かなのですけれど、
もともとカチッとしたものよりも手びねり風の方に惹かれる者としては
「これもまた好し」てな気がするのですなあ。
そして、何より火割れを金粉で繕った線が背景の白釉と相俟って
得も言われぬ深い印象を残すものとなっている。見事なものだなあと思いますねえ。
茶碗ではもうひとつ、尾形乾山
作の黒楽茶碗「銘武蔵野」も幽玄の世界であろうかと。
黒地に白釉の月と線描の薄を配したシンプルさ。侘び茶に通ずるところでしょうかね。
てなことを言いつつ、その実、茶の湯の何を知っているかと言えば
「千利休でしょ」くらいのことを言うしか知識の持ち合わせもないのでして、
ここはひとつ、「茶の湯を体感する美術館」という同館のハンドブックでもって
「ようこそ!茶の湯の美術館へ」と誘われてみることにいたしました。
いやあ、知らないこととはいえ、茶道具といいますのは茶碗や茶杓、茶入れはもとより
茶室という空間を彩る掛軸や花入れなども含めてのものなのですなあ。
ですから、茶の湯といえば単に「茶を飲む」ことと思うのは大きな誤りで、
客を招く空間を総合的にプロデュースすることになるようで。
床にどのような掛軸を飾るのか、どんな花入れをどこに置いて何の花を入れるのか等々、
全てに意図がある演出を施すものであるとは。
で、客を招く際に「茶事」と言われのが、いわば茶の湯のフルコースだとか。
ホストである亭主が炉に炭を入れるという開会宣言にもあたる「炭手前」に始まり、
茶を喫する前に簡単な食事を出す「懐石」に進む。
元々、「懐石
」は修行の禅僧が空腹しのぎに懐に温めた石を入れていたところから
出た言葉だそうですから、懐石料理が豪華なものだったりするのは本末転倒なのでしょう。
続いてようやくお茶の時間になりますが、まず「濃茶」を生菓子とともに。
次いで「薄茶」を干菓子とともにいただくという流れで茶事は構成されるということで、
濃茶や薄茶というお茶の部分だけを取り出して開くのが「茶会」なのだということです。
畠山記念館の創設者・畠山一清はポンプで有名な荏原製作所の創業者ですが、
古くは能登国の国主であった畠山氏の末裔であるとか。
先日のNHK「歴史秘話ヒストリア」で取り上げていた七尾城を造った一族ですな。
そうした由緒ある家系であるからか、茶道具をはじめとした美術工芸品を多々収集したわけで、
茶事や茶会を催しては自慢の品々を用いてその場を飾ったとのこと。
今はガラスケース越しに展示されているところを見るだけになっている尾形乾山の皿なども
実際に茶会で使われたりしたそうですね。
もっとも持ち主としても大事な品だけにもったいない意識が働いたか、
コースの中では早い段階で出して、さっさと下げさせていたてな話でもあるようです。
とまれ、改めて茶の湯なるものを少しばかり知ってみますと、
そこにはどうも「道楽」という言葉がしっくり来るような気がしますですね。
そういうことをできる身分や立場の人にとっての贅を凝らした究極の遊びというような。
茶室の設えといった点で、飾り付けの意図を主客が暗黙なのか、口に出してか
問答するといった知的贅沢さも持った遊びですけれど。
自らの趣味嗜好のありったけを空間に注ぎ込んで、
「どう?いいでしょ?分かってくれる?」といったやりとりを懐石を食しつつ、
茶を喫しつつやる。まあ、ある種、オタク的世界のひとつでもあろうかと思ったりしますですよ。
そして、侘び茶を指向した千利休の思いとはいささか違う展開に持ち込まれてしまっては
いますまいかとも(ま、かかる世界に縁遠い者の僻目かもしれませんけれど…)。