増上寺 の所在地は東京都港区芝公園4丁目でして、

芝公園というのは単に公園ではなくして町名なのですなあ。ではいったい全体、

公園たる芝公園の実態やいかに?と思ったところ、このような形であったとは…。


芝公園はかような形であったか…

中央の大きな敷地を増上寺と東京プリンスホテルとが占めている周囲を

ぐるりと細い帯状にとり囲んでいるという。


なんとも妙な形だなと思ったものの、それが実は由緒ある?公園であったと知ったのは、

増上寺三解脱門前の通りの向こう側で見かけた解説板に「日本で最も古い公園の一つ」と

書かれていたからでして。説明にはこんなふうにありました。

明治6年(1873年)の太政官布達第16号により、日本初の公園制度が誕生しました。…上野の寛永寺と共に江戸の名所だった増上寺を中心とした芝公園は、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に、明治6年(1873年)に東京で最初の公園として指定されました。

この説明は、しばらく前に横浜をぶらりとしたときに横浜公園 で見た

「横濱公園は明治九年を以て創設せる我国最古の公園なり」との記述とは

食い違っていると思うのですが、ここでは深入りせずにおくとして、

芝公園も古い公園だと受け止めるにとどめておくとしましょう、とりあえず。


とにかくさほどに由緒ある公園であるのならば「何か発見があるやもしれぬ」と、

東側から南側の一角をぶらりとしてみようと思ったのでありますよ。

すると、早速に出くわしたのがこちら、「ペルリ提督の像」でございます。


ペルリ提督の像@芝公園

黒船率いてやってきたペリー提督の像が芝公園にある言われは詳らかではありませんが、

ひとつ言えるのは増上寺、徳川将軍家の菩提寺の方向を向いているということ。

とりあえず曰くありげな…とだけ言っておくとしましょう。


で、アメリカから日本へやってきたペリー提督の像の斜向かいくらいの場所には、

今度は日本からアメリカへと出かけていったことを記念する碑がありましたですよ。

「万延元年 遣米使節記念碑」というものです。


「万延元年 遣米使節記念碑」@芝公園

ペリー来航によって開国した日本が万延元年(1860年)には、

アメリカに向けて使節を送り出しますな。日米修好通商条約の批准書取り交わしのために。


そうした関わりでペリーの斜向かいに?と思ったりもするところながら、説明によれば

新見豊前守はじめ使節一行が渡航のために米艦ポーハタン号に乗り込んだのが

竹芝であったとのこと。江戸の頃には今よりもっと海が近かったのではと思うにつけ、

だからここに記念碑があるのかいねといささか納得できると言いますか。


と、今度は芝公園の南側エリアに向かうことに。さきほど見た案内図によれば

古墳があるとのことでしたので、どれどれと増上寺の側に通りを渡り返す。

広々とした港区立芝公園(都立公園の部分ですな)の奥に、それはこんもりと出現したのでした。


芝丸山古墳@芝公園

解説板によれば全長は106m前後で、都内最大級の規模をもつ前方後円墳であるとのこと。

型崩れはかなり激しいようながら、五世紀代に築造された南武蔵有数の族長の墓だったと

考えられているのだそうでありますよ。



左側上に尾根道のように見えるのが墳墓の稜線ということになりましょうね。

大きさ、高さがあまり判然としませんですが、墳丘上から見下ろすとこんな感じですので、

約16mとはそれなりに高さがあるものですなあ。



ところで、この墳丘の頂上に碑が建てられてあったのですが、

およそ古墳とは関わりないものではあるも、これはこれで気になるものでして。


伊能忠敬測地遺功表@芝公園

日本列島の図が見えるくらいでいったい何の碑なのやらというところですが、

こちらは「伊能忠敬測地遺功表」というものなのですな。

なんでも「伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で

東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建て」たのだとか。


さほど古いものではなさそうと思いましたら、1889年に建てられたものが戦災に遭ったため、

新しいのを1965年に作ったのだそうでありますよ。

やはり伊能忠敬 は古くから尊敬の的であったのですなあ。


と、古墳を降りきったところにはひとつ小さめなお社がありました。

小さめではあっても「芝東照宮」とありますので、まさに徳川由来でありますな。


芝東照宮

家康生前に自ら駿府城で祭儀した寿像を遺言により増上寺に鎮座させたそうなのですが、

明治になって神仏分離がなされた際に、増上寺とは別にお社が造られたのだそうで。

東照大権現といえども、明治政府には関わりなしということでありましょうかね。


三代将軍家光お手植えのイチョウ@芝東照宮

小さな境内の傍らには覆いかぶさるように大きなイチョウの大木が。

幹の周りは約6.5mだそうですから、なかなかに大きい。伝わるところによりますれば、

寛永十八年(1641年)に三代将軍家光がお手植えしたものとか。

さすれば樹齢は370年余りにもなるわけで、「ほうほう」という思いと「本当?」という思いと。


…てなことで、ついでにと思ってぶらりとしてみた芝公園(の一角)、

都心は都心でいろんなものに出くわすことになりますですなあ。