以前は「何も年末に毎年毎年、第九を聴かなくても…」と思っていたのですけれど、

読響の定期会員を何年も続けておりますと、結局のところ毎年12月の公演は「第九」でして。


会員になりたての頃には

12月に「第九」でないプログラムを組んでくれんかなあと思ったりしたものですが、

個人的な思いとは裏腹にこれを楽しみにしている人たちがいるようですし、

また「年末の第九」なる行事?への初参加を試みる人たちもいるようですので、

日本の音楽界に特有のこの状況はおそらく続いていくのでありましょう。


ま、個人的にも何年かに渡って「年末の第九」を聴き続けている中では

(これを聴かないと年が明けないとかいうことは全く感じておりませんですが)

慣れが生じてきているので、もはやプログラムがどうのというつもりもなくなりましたですよ。


とまあ、そんなこんなの「年末の第九」、

今年も読響の公演@東京芸術劇場で聴いてきたのでありますよ。


読売日本交響楽団第212回土曜マネチーシリーズ@東京芸術劇場

ことは「第九」に限らずですが、同じ曲を何度も聴く際には

指揮者が違うとどんな演奏になるかなというあたりが楽しみどころになりますが、

今回登場しましたのはマッシモ・ザネッティというイタリア人コンダクターでして。


お国柄もあり、どちらかといえばオペラ寄りの方のようですから、

オペラティックな様相の「第九」?なんつうふうにも思ってしまいがちながら、

どうも様子は違ったようですなあ。


なかなかに出だしから快速電車っぽく進みますが、決して軽いという感じでない。

厚みのある立体感があるとでもいいますかね。派手に何かをするでもないのに

じわじわと熱が蓄積していくようなところがありました。


当然に溜まっていった熱は終楽章で最大になるわけでして、

合唱ともども高らかに「歓喜に寄す」が溢れだすに至ってふと、

「今日は何かの記念日でもあったか?なぜにかくも歓喜の情が噴き出すのだ?」と

思ったのでありますよ。


だいたい年末だからと「第九」を演奏する日本のありようというのは、

「第九」の秘めるパワーをいささか軽く考えているのかもしれませんですね。


ベルリンの壁 」が崩壊した記念コンサートで演奏されるとか、

チェコの民主化を祝う演奏会で取り上げられたりとか、

例えばこうした心からの歓喜の爆発の瞬間にこそ馴染む音楽だというのが

「第九」の真価でもあらんかと思えたのですなあ、今回の演奏を通じて。


まあ、はっきり言ってこの演奏会に際して、ベルリンの壁崩壊に匹敵する何かしらが

背景にあったはずもありませんですが、そうした熱の感じられる演奏に接するのは

まさに「ライブ」ならではでありますね。


演奏会に出向いて聴くのは常に「ライブ」ではありますけれど、

いつもとは違った「ライブ感」に包まれた演奏でもって、

決して気安いものではない「第九」の力に思いを致したわけでして、

「第九」は特別に場所を選ぶ「機会音楽」なのだな思ったのでありました。