自転車で行ける範囲にあるものですから、

展示が変わるたびにちょいと覗きに出かける立川の国文学研究資料館

ただいまは特別展示「祈りと救いの中世」が行われておりました。


特別展示「祈りと救いの中世」@国文学研究資料館

「寺院に現存する貴重な古典籍を中心に、中世における信仰の実態と文学との

関わりについて紹介」するというものですけれど、これを見ていて

(気が付く順序が逆だろうと我ながら思うところながら)キリスト教とおんなじなんだなと。


何がと申しますれば、まず最初、イントロダクション的に展示されていた「平基親願経」ですな。

治承四年(1180年)と言いますから平安末期、武家の世に移り変わろうかという

かまびすしいご時世であったかと思うところですが、そんな時代に作られた写経でして。


これが豪華というか絢爛というか、紺地に金泥が映える経の文字とともに

細密な大和絵が色彩豊かに添えられている。

上のフライヤーでは雰囲気くらいしか伝わらないでしょうけれど、見事なものであるなあと。


で、ふと思ったのは、このありようは聖書の装飾写本でもあろうかということ。

いずれにせよ神仏への願いと感謝を込めて、それを讃える意味で豪華に絢爛に

作り上げるということでもあったのでしょうから。


冒頭部分でそんなふうに思いつきますと、続く展示に仏画があったりしたときに

「ああ、文字の読めない庶民に仏の教えを絵で伝えていたのだあね」と今さらながら。

キリスト教にもたぁくさんありますものね、この手の絵は。


ただ、仏教の場合にはこうした仏画の絵解きをして回る人やらもいたようですね。

展示解説には「説法、唱導の場において、文盲の庶民に難しい経典を説くには、

たとえ話を交えて分かり易く、しかも面白く語ることが必要」だったとありまして、

その分かり易さの工夫のひとつが絵解きでもあったのでありましょう。

もちろんよく出来た説法は使いまわしされたのか、「説草」なる説教台本集もあったそうで。


とまれ、そうした説法、唱導にあたっては仏の功徳とともに

行いが悪いと地獄に落ちてしまいますよ、地獄というところはこんなにも恐ろしくて…と

具体的に語ってきかせたことでしょう。


本来、ビジュアルな感じでの地獄のありさまは具体的な無いところを

賽の河原、血の池、針の山と具体的なイメージをしやすい形で物語る。

これが一般に地獄の姿として広く受け入れられるようになっていくわけですな。


寛和元年(985年)に成立したとされる「往生要集」はそうした描写のはしりであるとか。

「念仏往生について体系的に説いた書」とのことですが、特に「厭離穢土」の地獄の苦、

そして「人間の不浄の記述は、後代の文学や美術におけるそれらの描写の原点となった」とも。


そして、「日本の物語で初めて本格的に『死』を叙述した物語は

源氏物語だと言われている」のだそうですなあ。

まさに「源氏物語」にも説法や唱導の影響の下に成ったということでしょうか。


ところでその「源氏物語」ですけれど、作者・紫式部の後日譚として、

男女の愛憎を描いて読者を大いに身悶えさせた?罪でもって作者は地獄に落ち、

何と紫式部は現世に亡霊となって現れる…てな話があるそうで。


そこで、身悶えもさせられたけれど大いに楽しませてももらった紫式部を

なんとか成仏させてやりたいと考えた人たちがいたことから

「源氏供養」という風習が中世にはあったとか。


これを題材に「源氏供養」は能の作品にもなったそうですが、

ワキとして登場するのが安居院法印でして(と、見たことはないです…)

この安居院(あごい)というのがどうやら説教師(せっきょうじ)の牙城であったようす。


安居院流の唱導は夙に有名であったようで、地獄の裁判官である十王の信仰は

「平安時代末期から安居院をはじめとする唱導を介して次第に広が」っていったそうですよ。


とまあ、本来的には身近であるはずの仏教を、むしろキリスト教の方向から理解に及ぶとは

何とももの知らずなわけですが、またひとつ知らないことを知ることになったという

国文学研究資料館の展示なのでありました。