にぎやかなポツダム広場
を後に、
引き続きかつての「ベルリンの壁」沿い北へ少々歩いて行きますと、
左手には広大な木立が見えてくるのですね。
「ティーアガルテン」と呼ばれる公園でして、いわばベルリン市民の憩いの場。
元は宮廷の狩場だったところをフリードリヒ2世がパブリックな公園としてよいと
許したのが始まりであるようです。
広い園内にはあちらこちらにモニュメントが置かれているようなのですが、
差し当たりちょいと寄り道的に入りこんだところで目についたのはこちらです。
と、これでは誰の像やら分らないでしょうけれど、
ちとクローズアップしてみれば「GOETHE」の文字がご覧になれましょうか。
ドイツ各地でお目にかかれるゲーテ
の像、ここにもかと。
台座の三方に従えたミューズはそれぞれ、
抒情詩、劇詩、そして科学のアレゴリーでゲーテの業績に擬えているようですね。
ゲーテ自身も極端にギョロ目が強調されず、見目麗しい偉丈夫なようすとあって
数あるゲーテ像の中では秀逸なもののように思えたものです。
さりながら、どうやらゲーテはあまりベルリンがお気に召さなかったそうな。
たったの4日間しか滞在したことがないとか、
プロイセン人に対しては「語るのでなく、主張してばかり」と評したとか。
そんな逸話が漏れ聞こえてきたものですから。
と、そんなゲーテ像のあるティーアガルテンから
エーベルト通り(かつてベルリンの壁があった通り)越しに向こうを見ますと、
そこにはあったのは「ホロコースト記念碑」でありました。
あたかも棺でもあろうかという直方体がたくさんに並び、
単に「碑」という言葉から受ける印象とはかけ離れたスケールではなかろうかと。
ぱっと見では棺に見えると言いましたけれど、
作者のピーター・アイゼンマンは取り分け作品の意図を語るでなく、
見た者それぞれのイメージに委ねているようですから、
棺に見えるならそれでもいいということでしょう。
ただ、見渡しただけでは棺との印象で終わってしまうモニュメントの真価は
その棺に見える林の中に踏み込んでことを思い巡らすことができるものかと。
ひとつひとつは高さが違うんだね…などと思いつつ、深みに入り込んでいきますと、
まさに「深みに入る」という言葉どおりになっていくのにいささか驚かされるような。
いつのまにやら大人の背丈を遥かに超える高さの無機質な壁に囲まれたようになる。
この閉塞感、そして果たして出口があるのか分からなくなるような絶望感、
そうした印象の一切がこのモニュメントの部分として込められているとった
気がしたものでありますよ。
なお、このモニュメントの正式名称は「Denkmal für die ermordeten Juden Europas」と
もっぱらユダヤ人被害者のためのものであるわけですが、
ナチスの虐殺の犠牲者はユダヤ人ばかりではないということから、
先ほどのゲーテ像からほど近く、ティーアガルテンの中には
「Denkmal für die im Nationalsozialismus verfolgten Homosexuellen」、
つまりは同性愛者であるがゆえに被害を受けた人たちの追悼碑がありました。
こちらのひっそり具合にはまた別の印象を持ちますよね。
そもそも被害者の属性の別に応じたモニュメントを
別々に作らなくてはいけなかったのであるかなぁ…とか考えたりもするわけで。
どこかしら誰かしらの考えの中に一緒にされたくないといったものがあるなら、
ここで追悼を必要とさせた原因が繰り返される可能性があるようにも
思えてしまったりするのでありましたよ。