台風12号は関東をどんな具合に横切るのかが気になる一日だった昨日、
ほぼ1時間ごとに更新される予想進路を何度も何度も見た結果として
「これや行けそう」と出かけていった池袋・東京芸術劇場でありました。
読響の演奏会だったものですから。
以前、Eテレ「クラシック音楽館」で取り上げられたデトロイト響来日公演で
ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を弾いたジャズ・ピアニストの小曽根真が登場、
おそらくはクラシック系のピアニストならばこうはなるないという「ラプソディー・イン・ブルー」を
ここでも披露してくれましたですよ。
何がといって、先日に新日フィルとの共演でやはりガーシュウィンのピアノ協奏曲へ調の
ソリストを務めた山下洋輔 の演奏同様に(といって、両者の個性は全く違うわけですが)
即興性に溢れているところでしょうか。
今回の小曽根ラプソディーも「この曲、こんな?」と思うことしばしの自由にあふれ出る音楽に
「これはもう小曽根真の演奏会?」と思ったものでありますよ。
何しろアンコールに至っては、コントラバス奏者をひとり前に呼び出して
ピアノ&ベースのデュオで演奏された「Take the A train」は有名曲でもありますし、
必ずしもジャズ好きという方でなくても楽しめるというサービス精神の発露かなとも。
と、会場外の風雨をすっかり忘れさせてくれた演奏会の後半は趣きを変えて
ドビュッシー、エネスコ(近頃はもっぱらエネスクと言われますな)、ラヴェルが並んでおりました。
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」で有名なフルート・ソロの後に続くほわんとした、
まるで宇宙空間に放り込まれたような和音には、初演当時の人たちは今感じる以上の衝撃で
「新しい音楽」を感じたことでありましょう。
エネスコの「ルーマニア狂詩曲第1番」はそこまでの斬新さは無いとはいえ、
バルトークやコダーイが精力的に民謡を収集してまわり、
あたかも音楽の「民藝運動 」とも言えそうなところに目が(耳が)向けられていた頃の産物かと。
そして、ラヴェル「ダフニスとクロエ」の「夜明け」に聴かれる精緻なオーケストレーションは、
それまでにもさまざまな手法で試みてこられた音楽による情景描写の、
ひとつの到達点でもあるかに思えるところです。
「牧神の午後…」こそ1894年の初演ですけれど、「ルーマニア狂詩曲第1番」は1903年、
「ダフニスとクロエ」は1912年、加えて「ラプソディー・イン・ブルー」は1924年にそれぞれ
初演されているとなりますと、20世紀初頭の音楽のバリエーションは相当なものであったなと。
美術の分野では20世紀初頭に「エコール・ド・パリ」と呼ばれるアーティストたちの活躍が
ありますけれど、彼らは必ずしも同じ作品傾向があるわけではなく、
それぞれが別々の個性をもって活動し、百花繚乱の趣きを示しておりました。
ふと考えると、音楽の世界もまた然りであるのだなと思ったような次第。
その後の音楽はいわゆる「現代音楽」とか「前衛音楽」とか言われる方向を向いて
いささか聴き手をおいてけぼりにしていったところがありますけれど、その出発点というか、
そもそもの時期にはかくもバリエーション豊かにさまざまな音楽があったのですよね。
そうした広がりがあって、かくて20世紀音楽は始まった…てなことに
思い至らせてくれるプログラミングの演奏会なのでありした。
