先日訪ねた国立国語研究所の一般公開イベント
基本的には子供向けだったところながらそれなりに大人にも興味深いものであったわけですが、
子供向けと侮ってばかりもいられないものはいろいろあるものですよねえ。


Eテレで放送されている「ピタゴラスイッチ」なども今はすっかりしぼんでしまっているも、
かつては学研の学習雑誌「科学」の付録であれこれ実験するのが好きな子供であったことを
少々思い出させるところがあるような。


先日たまたま「大人のピタゴラスイッチ」なるものが再放送されているのを見かけたですが、
そこでは「たのしい数学」を副題に、数学苦手の大人に数学の楽しみを

いささかなりとも伝えようという目論見であったでしょうかね。


昔、数学…というより、算数の授業で「みかた・かんがえかた」という単元(というのかな)が

ありましたけれど、算数・数学といってどうしても計算式ばかりを思い浮かべてしまうところながら、

そもそもある問題に対する見方や考え方が根底にあって、それがあってこそ数式やら何やらの

解法に繋がるのだねえということを、今さらながら「ピタゴラスイッチ」で。


テーブルの上に5つ並んだ小皿にはそれぞれ釘が10本ずつ載っているとしますですね。

釘1本の重さは10gなのですが、どうやら不良品を集めたのか、11gの釘ばかり載っている皿が

5つのうちにひとつだけあるのですな。


ですが、不良品の載った皿がどれか分からなくなってしまったときに、

はかりを一回だけ使ってどの皿が11gの不良品を載せた皿であるかを見つけたい。

どのようにしたらよいか、という問題。


数学的な見方も考え方もできていない頭(これを「文系頭」と称して逃げを打ってますが)には

どうにも何の解決策も浮かばないところで、なんで一回だけしか量れないのか?!などと

問題の前提に難癖つけたりしてしまうのですなあ(笑)。


それでも、種明かしをされてしみれば何事も「コロンブスの卵」なわけですね。

ひとつめの皿からは1本、ふたつめの皿からは2本、同様にみっつめから3本、4つめから4本、

そして5つめの皿からは5本を取り出したものをまとめて、はかりで量る。

すると、本来10gの釘を5本の合計ですから50gとなるところが、実際には50gを

何グラムか飛び出すのですな。11gが何本か混じってますから。


で、50gから1gだけ重くなっていれば、11gの釘はひとつめの皿に乗っており、

2gだけ重くなっていればふたつめの皿に、3gなら3つめの皿…以下、同じですが、

とにかく一度の計量でどの皿に11gの釘が載っているか分かることになるという。

言われてみれば「なるほど」ですが、こういう発想が出てこないのですなあ。


というより、(いささか負け惜しみめきますが)本来はみな一律に

算数で「みかた・かんがえかた」なんかを学ぶことによって発想が育まれ、

その後に続く数学で磨きがかけられる、皆一律にそうなっていくはずだったのでしょうけれど、

どこかで道を見失ったのでしょうなあ、個人的には。


「鉄は熱いうちに打て」と言われますように、人間も年を経て(よくも悪くも)堅固な頭になる前に

柔らか頭をなんとかしとけばその後に違いが出たものとは思いますが、いくら堅くなったとしても

手間はかかるにせよ、まだ叩いて全く変化がないわけではなかろうと思わなくもない。


基本は子供向けというイベントに出かけてみたり、「大人のピタゴラスイッチ」を見てみたり、

こうしたことも冷めた鉄をわずかであっても変化させる叩きにつながっているのではないかと

思ったものでありますよ。