先日、筝曲のCDを図書館から借り出して聴きましたときに

今さらながらとも思われる「春の海」 をじっくり全曲通して耳にしましたですが、

箏の音色もさりながら、尺八の味わいというのは独特のものがあるなあと。


「春の海」は尺八の代わりにヴァイオリンやフルートなどでも演奏されますけれど、

本来の尺八という「息遣いの楽器」に代わるのだからフルートなどは

文句無しに違和感無かろう…と、かつては思っていたのですが、どうやらそうでもない。


輝かしく透明な音色のフルートはもちろん翳りある音が出せないわけではない。

一方で、翳りが先にあると思しき尺八でも澄んだ通る音が出ないわけではない。

つまるところ、似た者どうしではないかとなるわけですが、

やはり楽器が違えば同じということはありませんですね。


前にも何かの折に触れた気がしますけれど、

フルートを発展させた西洋と尺八を育んだ日本との違いとで

違うことのひとつはその湿度感ではなかろうかと思うのでありますよ。

そういうつもりで改めて尺八の音に耳を傾けますと、湿度を感じるのではないでしょうか。


てなことを言いつつ、さほど尺八の演奏を聴いたことがあるわけではないものですから、

ここはひとつ、また図書館だのみ。尺八の演奏を収録したCDを借りてきたのでありました。


「日本の伝統音楽~巨匠の至芸 二  尺八」


最近は日本の伝統楽器にもだいぶスポットが当たるようになって、

例えばTV朝日「題名のない音楽会」あたりでは和楽器のグループによるセッションが

まま取り上げられていますですね。


ただ、傾向としては温故知新的な曲作りがされているような。

もちろん伝統に根ざしているものの、そこには現代の人たち(若者たち?)もが

受け入れやすいようなテイストでもって仕立てられているわけです。


もちろん、それ自体の良し悪しを云々するつもりはないわけですが、

その手のものではない、いわば古来、尺八が奏でていた曲のCDをと望むと

上の写真のようにジャケットから実に渋いものをやって見つけるような次第。


タイトルも「日本のの伝統音楽~巨匠の至芸 二 尺八」となってくると、

本格的に「記録」としての録音でもあったろうかと思うところです。

ちなみに奏者は山口五郎という人間国宝の方だそうでありますよ。

収録曲は「虚空鈴慕」、「巣鶴鈴慕」、「眞虚霊」、「鹿の遠音」という4曲ですけれど、

これらの曲名からしてすでに幽玄の世界を醸し出してはいませんでしょうか。

一聴すれば、否応なくいずこかに引き込まれていく感覚ともなりますですなあ。


そんなふうに思ってしまうのは、

尺八といってどうしても虚無僧のイメージが強いからでしょうか。

元来が普化宗の吹禅で使用され、托鉢の虚無僧が全国に伝播したとなれば

そうしたイメージも当然のことかと。

ただ、時代劇ドラマに登場する虚無僧はだいたい正体を隠す変装なんですけどね。


それはともかく、今改めて虚心に尺八の音に耳を傾けてみれば、

ただ単に渋いとか侘び寂びを感じるとかいうことばかりでなくして、

時には風のそよぎが聞こえ、時には水のせせらぎを思うといったふう。

大袈裟にいえば森羅万象に思いを馳せるといったところでもあろうかと思うわけです。


自然の中にある音の再現は洋の東西を問わず指向されたところでしょうけれど、

単に音符に写し取るのではないありようがそこにはあるといいますか。

そう考えると、五線譜という非常に便利なものを生み出したが故に

五線譜からはみ出す音楽をなかなか作り得なかったのが西洋世界なのかもしれません。


これまたちなみにですが、人間国宝・山口五郎による「巣鶴鈴慕」の演奏は、

何万光年も先の宇宙に向けて飛び続けている宇宙探査機ボイジャー2号に搭載された

レコードに収録されているのだといいます。


いつの日かそれを見つけたどこぞの宇宙人が尺八の音を聴いて

広大無辺な大宇宙の先にある地球なる天体を知ることになるのでありましょうか。

なんにつけ、実は果てしないほどにスケールの大きな尺八の音楽なのでありました。