戦争と平和 」を読み続けているさなかの折も折、

出かけていった読響演奏会@東京芸術劇場ではロシアもの尽くし。

ムソルグスキーの「はげ山の一夜」(リムスキー=コルサコフ編曲版)、

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そしてチャイコフスキーの交響曲第5番という

爆裂系3連発でありましたよ。


いずれの曲もトルストイが生きていた時代に初演されたものですので、

トルストイも耳にしていたかもしれませんですな。そんなふうな思い巡らしのあってか、

炸裂する金管群からはナポレオン戦争で轟きわたる砲声 やロシア陸軍の敢闘を

ついつい思い浮かべてしまったところなのでありました。


読売日本交響楽団第207回土曜マチネーシリーズ@東京芸術劇場


ですが、この演奏会でいちばん印象に残ったのは実はアンコールでありまして。

ラフマニノフでピアノ独奏にあたったガブリエラ・モンテーロが鳴りやまない拍手の何度めかに

やおらマイクを持って通訳とともにステージに登場。何が始まるのかいねと思ったわけで。


曰く、アンコールとしてかつてはバッハもモーツァルトもベートーヴェンもリストなども

やっていたことを披露するという語りかけ。要するに即興演奏なのですなあ。


会場に向かってジャパニーズ・トラディショナルでもクラシック音楽のものでもいいので

何かメロディーをくださいと。そのメロディーをもとに即興で演奏しますということなんですが、

会場は遠慮の塊になってしまったようで、その代わりにと楽団員に同様の求めをしたところ、

ようやくフルート奏者から童謡「赤とんぼ」のあたまのメロディーが提示されたのですね。


「夕焼け小焼けの赤とんぼ」の部分、これを何度かピアノでさらっていたあと、

やおら弾き始めた音楽は「バッハでないの?」という曲の流れの渦の中に

「赤とんぼ」がちらちらほの見えるというものだったのでありますよ。


本人が後半にサプライズがと言っていたとおりに、

途中からはこれが見事にライト・ジャズの風味になっていったのでして、

意表をつく展開もお楽しみなわけですから、

誠にサービス精神にあふれたアンコールというべきでありましょうか。


当日プログラムの紹介文にモンテーロは「作曲や即興演奏も得意」とありましたけれど、

Wikipediaではもそっと書き込んであって、こんな紹介がありました。

即興演奏の才能でも名高く、有名な作曲家の主題に基づく即興演奏や、ポピュラー音楽を大作曲家の作風で再構成することを得意としており、演奏会や録音でその能力を披露している。

今回の演奏会では、まさにその通りのことを披露してくれたということになりますけれど、

ふと気づけばそこに耳にした音楽をもう二度と聴くことはできないですなあ。


同じ譜面を用いても、演奏者が同じでも全く同じという演奏はあり得ないという話でなくして、

その場で事前の準備もなく提示されたメロディーを用いて紡ぎ出した音楽は

もちろんモンテーロが記憶していて後から譜面に起こすといったことをしない限り

再現することはできないのですから。


考えてみれば、過去の音楽家たちが即興演奏をしていた時代、

録音という手段が無い中で音楽は夙に刹那的なものであったことでしょう。


録音されたものを反芻してじっくり味わうという形とは異なって

刹那、刹那のお楽しみのためにはその場、そのときの感興を反映した即興的な演奏こそ

求められたものだったのかもしれませんですね。


なまじ録音という残す手段があるがために、

二度と同じ曲を聴けないといったことを思ってしまったわけですが、

その時を楽しんで「次にはもっと面白いことがあるかな」とまたの演奏を楽しみに待つ。

その待ち遠しさ感がたまらないのよ的なところが、昔の人たちにはあったのかもしれませんなな。