先月に「ドレッサー 」を見に行きました折、
本多劇場のロビーの片隅に並べられた数々の舞台公演を告知するチラシの中で
目を止めたのがこちらでありました。
「ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち」。
おお、シャガール の話であるかと出かけて行ったのでありますよ。
シアター711は下北沢に数ある本多劇場グループの小劇場のひとつ。
というより、なんとなし芝居小屋といった方がしっくりくるような、
要するにもはや劇場っぽさはない「空間」でありますな。
今回の公演も「空間」の中央にステージがおかれ、
それを前後(というのか左右というのか)に分かれた階段状の客席から見る感じ。
ステージごしに客が向かい合う状態でもありますな。
100席もないくらいですから、ステージも近いし、向かいの客席も近い。
そんな具合ですから、まずもって背景なるものはなく、開演前のステージに置かれていたのは
椅子2脚に、絵の嵌まっていない額縁、そして電話機。シンプルですな。
小道具は演者の出入りの際に持ち出され、また何かが持ち込まれという繰り返しで
変化を見せるものの、基本的に見る側の想像力がものを言う世界でありますね。
単に前方にあるステージを見るというのとは芝居への関わり感が異なっている。
そのあたりもこうした「空間」で演じられる芝居の楽しみでもありましょう。
と、お話としてはマルク・シャガールと最愛の妻ベラとの物語。
故郷ヴィテブスクでの出会いから結婚し、各地を転々しなければならなったという
彼らの人生を追っていくわけですな。
マルクはベラを生涯愛していましたし、ベラもまた。
ですけれど、良くも悪くも?マルクが芸術家であったことを
時に理解し、時に理解しがたく思ったのでしょうねえ、ベラは。
マルクがベラを愛していたことは
作品に描かれる恋人たちを夢見心地の浮遊状態に置いていることからも想像できますが、
こうした浮遊感を伴うような恋情が落ち着いた日常の愛とは必ずしもイコールでないことを
マルクは想像できず、ベラは現実に知っていたというすれ違いがありましょうか。
日々の生活のこと、子供のこと…ベラは現実の中にいるのですけれど、
マルクは常に絵画世界の中にいるのですなあ。ですから、思い余ったベラは
「それをいっちゃあおしまいよ」的なひとことをマルクに言ってしまうのですな。
曰く「絵は、明日でも描けるでしょ」と。
これがマルクにとっては自分を全否定されたくらいに受け止めることを分かっていながら。
展開は生涯を追う方向で進むあまり、この辺りの葛藤は刹那的な描かれ方ではありますが、
ベラにとっての夫はずっと少年マルクだったのでありましょう。
それを想像する物語であったと言えましょうかね。
出演者3人という作りの小さな芝居ながら、
わざわざヴァイオリン奏者をひとりおいて生演奏のクレズマーを流す。
これは結構印象深いものでありましたよ。
たまたま奏者のすぐ後ろ側の席で見ていたので譜面を見下ろせる形だったですが、
タイトルがヘブライ文字(たぶん)で書かれた曲の沈んだ翳のある調子は
シャガールの絵にもよく描かれるヴァイオリンが奏でるメロディーでもあろうかと
しみじみ思いながら見ていた「ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち」なのでありました。