たまたま放送大学の講義に「西洋芸術の歴史と理論」なる科目があるのを発見。

つまみ食いにおよびました。

 

初回には、芸術はただ見ればいいというものではなくして、

いろいろな知識を持って向き合わないと何が何だか分からないものです…といった話が

のっけから出てきたものですから、確かにそりゃそうだろうけれど、

そんな知的武装が先にありきと言い切ってしまわれては、

予備知識の蓄積が整わないうちは美術館にも行けないのでは…と思ったり。

 

ですが、そこはまあ、兼ね合いですなあ。

美術館に行ってみて予備知識もなく作品を見てみることが無いと先へは進まないですし、

見ることを重ねるうちに展示解説などから知ることもありましょうし。

あまりに「かくあるべし」では入口にたどり着かないうちに終わってしまうことにもなりましょうから。

 

とはいえ、全15回のシリーズ講義をつまみ食いしてみますと、

それなりに興味深い話が聞けたりもするわけでして、

ルネサンスの話もバロックの話もロココの話もそれぞれに「ふむふむ」でありました。

 

で、話が20世紀に及んでまいりましたときに取り上げられたのがピカソの「ゲルニカ」。

これは相当に知名度の高い一枚と言えるわけですけれど、

それにしてもこの「ゲルニカ」という作品のどこがどう「凄い」のか。

深く考えてみたことがなかったものですから、「ほお~、そうだったのだね」という具合だったのでありますよ。

 

まずもってピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦に介入したナチスドイツが

スペイン北部の都市ゲルニカに対して空爆を行ったことへの抗議が込められているとは

知られたところながら、軍事拠点でもない都市に対する空爆というのはこれが史上初なのだそうで。

 

ですから、空爆というものから生ずる被害を想像して「ひどいことだ…」と後世の人が思うようなこと以上に、

ゲルニカ空爆を同時代に見聞きした人にとって未曾有な出来事だけに衝撃的であったというのですね。

 

ピカソ自身は内戦が始まってからの共和国政府よりプラド美術館館長への就任を打診されて、

これを受諾しているくらいですから旗色は極めて鮮明であって、そのピカソにとっても

フランコ側に肩入れするナチスドイツによって行われた空爆は単なる空爆ではなかったのですなあ。

 

そして描かれた「ゲルニカ」。

職業軍人ではない一般市民の頭の上からばらばらと爆弾が落とされたことの暗示でしょうか、

この絵には被害を受けている側しか描かれていないそうですね(別の説もあるようですが)。

かつての戦闘は肉弾戦だったわけですが、それが鉄砲によって遠くから撃ち合うようなことにもなり、

さらには飛行機による爆撃は思いもよらぬ空の上からということに。

攻撃されている側に攻撃している側の実体が見えないのでありますよ。

 

これは、翻って攻撃している側にしても同じであって、目標に爆弾が的中したかどうかは気にするものの、

その爆発地点での凄惨な状況を目の当たりにすることなく済んでしまうのですから、

残酷な行為との意識の薄れにもつながるかもしれませんですね。

 

そんな暗示も込められた「ゲルニカ」は1937年のパリ万博スペイン館で展示されたのですが、

内戦でフランコ側が優位となっていったスペインには持ち込むことができずにアメリカに渡り、

各地を巡回展示された後、取り敢えずはMOMAで保管されることになったそうな。

 

でもって、この絵がスペインに戻されたのはなんとまあ、1981年とは

ずいぶんと長く「ゲルニカ」は仮住まいだったのですなあ。

されどスペインに到着したとはいえ、当初の公開は厳重な防弾ガラスの中であったそうですから、

スペイン内戦の名残りは長らくスペインに漂っていたのでしょう。

この防弾ガラスごしの展示から「ゲルニカ」が解放されたのは1995年だということです。

 

こうした「ゲルニカ」の漂泊はあたかも政治難民のようではなかろうかと。

一枚の絵画がスペインに平和が戻ったかどうかのバロメーターのようにも見られたりもしたわけで、

そんなこんなも諸々が一枚の絵画を「ゲルニカ」という作品にしているとなれば、

やっぱり「すごい」ということになりあしょうなあ。

 

 

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