前々回のEテレ「らららクラシック」では、
ブラームスの交響曲第4番を取り上げておりましたですね。
同番組のHPではブラームスをこんなふうに紹介しておりました。
19世紀半ばのヨーロッパの音楽は、リストが交響詩というジャンルを立ち上げたり、ワーグナーが楽劇という新しいオペラの様式を確立しようとしていた時代。ベートーベンが確立した交響曲は既に過去の音楽様式とみなされていました。そんな時代に交響曲の作曲に拘り続けたのがブラームスです。
古典的な様式で絶対芸術を目指すところは「もはや過去の…」とも見られるところながら、
ブラームスの作品が決して古びたものではないとは言うまでもないことでしょうけれど、
ただその姿勢を誰彼にも求めるとすれば、偏屈爺になってしまうかもしれませんですなあ。
以前にもブラームスがチャイコフスキーの交響曲第5番を酷評したてなことに触れたですが、
構成が今ひとつなことはチャイコフスキーも自覚していたようすであるも、そんなことをよそに
聴衆は好評を持って迎えたそのことの方にブラームスの忸怩たる思いはあったのかもです。
とまれ、時代の移ろいは音楽の方向性にも関わるところでありまして、
今でいうクラシック音楽の牙城が独墺圏にあって、そこでは作曲家たちが
例えば交響曲といった既存様式に縛られない作品作りをするようになっていったわけですね。
上の引用文で「19世紀半ばのヨーロッパ音楽は…」と紹介しているように。
ですが、同じ19世紀絵画でのフランスの状況ではありませんが、
どうしてもアカデミスムの方は古典に立脚することになりがちなわけで
必ずしも新しいものを即座に迎え入れることにはならない。
1858年、エドヴァルド・グリーグがノルウェーのベルゲンからライプツィヒ音楽院に留学した頃も
そんな状況にあったのかもしれない…とまあ、想像ですけれど。
なんだってそういう想像が出てくるかと申しますれば、
グリーグの古典的な構成の曲というのがかなり若いころに集中しているようだったものですから。
1843年生まれのグリーグ。ブラームスとは10歳違いですか。
ライプツィヒ音楽院への留学は1858年ですから15歳の時ですなあ。
そして古典的な構成を意識した作品としては
結局のところ作品番号が無いままになった交響曲の作曲が1863~64年。
グリーグの管弦楽作品では最も有名なピアノ協奏曲が1868年ですな。
室内楽系では一曲だけのピアノソナタが1865年、
ヴァイオリン・ソナタの第1番がやはり1865年、第2番が1867年(後にもう一曲)、
弦楽四重奏曲は1861年のライプツィヒ音楽院時代に書いたものがあり、スケッチは失われてしまったとか。
その後のグリーグはもっぱら抒情的な小品(実はあまり聴いたことがない)で知られるわけですが、
それは必ずしもドイツを離れたからという以上に、母国ノルウェーの伝統に根ざした音楽をこそ書こうと
そういう方向に舵を切っていったからのようですね。
ですが、その中でも改めて弦楽四重奏という独墺圏の伝統に連なる形式の曲を作り上げたのが1878年。
何か心境の変化があったのか、それとも構成的な器を借りた上でノルウェーの音楽をということであったか。
しかしまあ、ここまでが前置きなのですから、いつも以上に長いまくらになってますけれど、
要するにグリーグの弦楽四重奏曲ト短調作品27をCDで聴いたということなのでありますよ。
(昨年まとめ買いしたCDを一枚、一枚ゆっくりじっくり聴いていってますが、なんとも気の長い話…)
CDの帯には「とかく深刻になりがちな弦楽四重奏曲を北欧的抒情で美しく彩ったグリーグの名作」と。
これはいささか販促的なコピーでもあろうかとは思うものの、なんとなく弦楽四重奏曲に感じる敷居の高さは
まさしく「深刻っぽさ」にあろうとは思われるところです。
これは元来、弦楽四重奏曲は作曲技法の発露として、曲自体が深さを醸すものであるからでもありましょう。
グリーグの一曲も響きの点でとっつき晦渋?という気がしたものの、聴いていると必ずしもそうではない。
不思議だなと思うのは「北欧的抒情」と言われれば「確かに」と思われるものがそこにあることでありましょうか。
わずかな期間とはいえ北欧の空気に触れたことのあるという記憶が
そういう雰囲気を感じる助けになっていようかとも思わないではないですが、
ロシアの曲を聴いて行ったこともないのに「ああ、ロシアっぽいな」と思ったりすることがあることからすれば、
いったいどんな感覚に基づくものなかと、それが不思議な気がしたわけです、今さらながら。
と、音楽史の話でもあらんかという冒頭の大風呂敷?のわりに収束の仕方が何ともちっちゃくなりましたですが、
ま、グリーグの弦楽四重奏曲、CDの帯コピーの提灯を持つわけではありませんが、
シンプルにメロディーに耳を傾けたらいい弦楽四重奏もありということで、
比較的とっつきやすいものであったなと思うのでありました。