TV番組からの話ばかりが続きますが、今度のひっかかりは

Eテレシアター で放送された芝居「トロイ戦争は起こらない」を見てのことです。

鈴木亮平主演の舞台中継を1月に放送とは大河ドラマへの番宣みたいなところありですなあ。


もっともそれを今頃見ているのも、ましてや「西郷どん」自体を端から見るつもりもないのも

NHKにとっては思惑外れの視聴者ということになりましょうけれど、それはともかくとして。


物語の背景はトロイア戦争開戦前夜。

「パリスの審判」で三女神の争いを制したアフロディーテの力を頼みに

スパルタ王妃であったヘレネをトロイアに連れ帰ってしまったパリス。

これに怒ったスパルタ側はギリシア連合軍を組織して、トロイアにヘレネ返還を求めるも、

歴史的に知られるのはパリスの拒否にあって、トロイア戦争が勃発となるわけですな。


ところが本作の主人公はトロイア王子のヘクトール。パリスの兄になります。

「パリスの審判」には触れずに、パリスが勝手に王妃を連れてきてしまったことになっており、

そのためにギリシア側との間で起こりそうな戦争を

何としてでも回避しようとするヘクトールの姿を描いているという。


ギリシア側のオデュッセウスと直談判によってヘレネの返還とともに開戦を回避…

したかのように一度は見えたものの、ヘクトールが守りたいとしたトロイアの人たちが

戦争を避けるためとはいえ自国に降りかかる屈辱には耐えられず、暴走してしまい…と、

なっていくのですね。


作者のジャン・ジロドゥがこの戯曲を書いたのは1935年。

ドイツではナチスが2年前に政権をとり、欧州にだんだんと暗雲が垂れこめるといった時代に

「戦争に突き進む人間の愚かしさをあぶり出し、平和への望みをかけて書いた」とのことです。

(新国立劇場HPより)


オデュッセウスとヘクトールの直談判でオデュッセウスが言ったのは

戦争には機運があるということ。

仮にギリシア側がトロイアの富に目を付け、いかに戦争をしかけたいとしても

民衆の側にその機運がなければから回りとなる半面、

為政者の側がいかにここは穏便に済ませようと画策しても

民衆の側に機運の高まりがあればそれを抑えるのが困難だということしょうか。


最初、ヘクトールがオデュッセウスに対して、

ギリシアはこの機に何が何でも開戦に持ち込む気であろうと尋ねますが、

オデュッセウスはこれを否定するためにさきほど触れた機運がギリシアには無いことを説明します。


このことから両者は最終的にヘレネ返還、ギリシア艦隊引き揚げと一旦は話がまとまるも、

むしろ危ぶむべきはトロイア側だったのであり、トロイアには折れる理由がないと開戦気運が

高まってしまっていたことをヘクトールは軽く考えすぎていたようです。


このあたり、先の引用の「戦争に突き進む人間の愚かしさ」ということになりましょうけれど、

これは何も為政者の立場にある者ばかりでなく、その場その時の空気に高揚してしまう

一人ひとりのこと、誰でもそうなる可能性を言っているわけですね。


おそらくは「国が!」というようなナショナリズムの考えがじんわりと高まったりするときは

かなり危ういと一人ひとりが冷静に見極めることが大切なのではなかろうかと。

ともすると、群集心理的なマスに飲み込まれてしまうかもしれませんから。


芝居全体としての仕上がりとしては、個人的にはいささか「う~む…」のところがありますが、

第二次大戦前夜にこれを書いたジロドゥは先をどこまで予見していたものでありましょうや。

「戦争は起こらない」とタイトルが主張するも、結果的にトロイア戦争は起きてしまった。

また、第二次大戦も起きてしまった。


いやいや、「起きてしまった」と言っては「どこの世界の話?」ともなりましょうから、

「起こしてしまった」と言うべきなのかも。

とまれ、そんなことを考えた「トロイ戦争は起こらない」なのでありました。


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