ちとうっかり書きそびれてしまうところでしたですが、

横浜みなとみらいホール へ行ったついでに横浜美術館 を覗いたのでした。

時間に余裕がなかったので、コレクション展だけですけれどね。


横浜美術館


それでも、「全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」という

コレクション展のテーマ設定は結構そそるものではありませんか。

横浜美術館もコレクション展の方は写真撮影可ですので、

今回もまたパシャパシャしてきてしまいましたですよ。


そうしたパシャパシャの結果も交えて展示に触れてまいりたいと思いますが、

まずもって最初の解説の中に「シュルレアリスムは抽象ではない」との言葉が。


冷静に考えるとシュルレアリスム で描かれるのは具象であって、

抽象ではないと気づくわけながら、一見してつかみどころのないふうが

抽象であるかのような思い違いを生むところなのかも。

まずもって押さえておきたい点でありますね。

続いて、このような一文も。

昔から西洋美術にある主題である神話画や寓意画、風景画、肖像画、静物画をそれぞれ下敷きにしながらも、それらを逸脱してシュール化する何かが制作プロセスに組み込まれています。

伝統から逸脱した微妙なものが隠されている。

マックス・エルンストはこうした制作行為のありようを、

目隠ししたダイバーが未知の海底から何かを持ち帰ることに喩えたそうでありますよ。

ですから、見る側には作者たちが未知の海底から持ち帰ったものは何だろうかと

思いめぐらす楽しみがあるということになりましょうか。


とまあ、そんなシュルレアリスムですけれど、

今回の展示では「シュルレアリスムに親しむ11の標語」なるものが提示されていて、

中には「なるほどねえ」と思うものも。

何しろ真っ先にくるのが「上手である必要はない」というものなのでして。


「上手に描く」という作業は実に作為的なものであって、

無作為さにこだわりを見せるシュルレアリスムにあっては

「上手」に重きをおかないということになりましょうかね。


それだけに誰にでも試みることが可能な技法を使って描こうともしたのでしょう。

コラージュ、フロッタージュ、デカルコマニー…いずれも

先ほど言葉を引用したエルンスト作品によく見られる技法です。


オスカル・ドミンゲス「無題(デカルコマニー)」


これはスペインの画家オスカル・ドミンゲスの作品。

デカルコマニーという技法の創始者ということで、タイトルも「無題(デカルコマニー)」。

この技法によって写し取った絵の具が(絵描きが何を描きたいかということとは関わりなく)

表す形なりを見る側も勝手に受け止めてみてください、だから「無題」となりましょうか。


それでも一見して古代巨石文化の廃墟でもあるかのような、

岩肌の質感などはデカルコマニーで表しやすいものでしょうし、

やはり作者もそうした見立てで手を加えているのではないでしょうか。

最初の一点一画からの作為による作品ではないとは言えますけれど。



一方、こちらはエルンストのコラージュ作品。

いろんなところからの切り抜きを貼り合わせるというのがコラージュですとなれば、

それこそ誰にでも自在にやってみることができるとなりましょうけれど、

そこはそれ、どんなピースをどのように配置するのか、それも含めて自由自在ではありながら、

このエルンスト作品などは明らかに意図があると見えますよね。

勝手に並べたらたまたま後ろの人物の首が鳥になりました…てなことはないでしょうし。


そんなふうに考えていくと、シュルレアリスムは

徹頭徹尾、無作為であるかと気に掛けるのでなくして、

見る側の内で何かスパークを生じさせる目論見なのではと思えてくるところです。


まあ、あんまり理屈に詳しくないものが素朴に作品と向き合って「おお!」と思ったりする。

そんなようすがあれば作者は天上でにんまりしているかもしれませんし、

見る側にとってはそれこそお楽しみの瞬間というなのでして。


…と、横浜美術館が提示するシュルレアリスムに親しむ標語は残り10。

逐一全てに触れて行くつもりではありませんけれど、

続きはまた後日に譲った方が無難でありましょうねえ(笑)。


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