徳川家康がやって来る前と後とでは江戸の町は大きく様変わりした…とは、有名なお話。
今の東京で人がわんさと溢れている地域も、例えば日比谷入江という海の底であったとは
日比谷図書文化館ミュージアムの常設展示でも見られるところなわけです。
一見したところでは「こんなところに城下町を造れるのか…」という江戸に大土木工事を施して
今の東京の基礎を作ってしまった。家康には先見の明があったのか…とは、
先に読んだ「家康、江戸を建てる」 にも触れられていたですなあ。
しかし関東を預かった家康が「何故に江戸を選んだか」ということに関して、
実は秀吉が築いた大阪城と同じような台地のヘリに城を建てられるからとは
あまり言われていないような。
「ブラタモリ」の大阪編で大阪城が上町台地のヘリに造られたと詳らかにされましたですが、
どうやら江戸城は麹町台地のヘリにあって、やはり攻めにくい場所にあるという。
とまあ、そんな話をまくらに東京の街を地形や地勢の観点からいろいろと見ていったのが
「地形で解ける! 東京の街の秘密50」という一冊。
近所の図書館でたまたま見かけた本ですが、面白かったですよ。
だいたい江戸城が台地のヘリにあったということを今でも偲ばせるのはお濠なのだそうな。
江戸城の周囲を囲むお濠の水面に高低差があるてなことは考えても見ませんでしたけれど、
いちばん高いところと低いところの高低差は実に20mほどになるというのですね。
もっとも低いところは東京駅に近い馬場先濠、高いところが四谷駅に近い真田濠。
これだけ見ても西高東低であることが窺えますが、東京は全般に西から東へと
緩い下りの連続になっているわけです。
だからこそ、多摩川を羽村で分水した玉川上水が江戸市中まで引き入れられるのも、
その高低差をうまく利用したからなのですなあ。
ですが、本書に紹介されて知らなきゃよかった…と思ったことは、
玉川上水として羽村で分水された流れは多摩湖(村山貯水池)と東村山の浄水場へ
行ってしまうということ。
西武線の玉川上水駅付近にある小平監視所から先の流れは
多摩川上流水再生センターという下水処理施設で処理された再生水だというのですね。
玉川上水の両岸は緑の帯が延々と続く遊歩道になっていて、
せせらぎに涼を感じながら散歩するのにいいところなわけですが、
そこをそぞろ歩く人の中に下水を処理した水が流れていると知る人はどれほどいましょうか。
ま、そんなことを一端として「ほお!」と思うこと、また残念な気にさせられること、
東京のあれこれを知ることのできる一冊のなのでありますよ。
読み終えてみれば、おそらくは勝手に「ブラタモリ」を気取って歩きまわってみたくなること
必定な気がしたものでありました。