いやあ、ジュニア向けの本がなかなかに侮れないとは

岩波ジュニア新書なんかを読んでも思うところでありまして、

以前読んだ「砂糖の世界史」なんかもそんなひとつでしたなあ。


今回手に取ったのは岩波ジュニア新書ではありませんけれど、

平凡社の「中学生の質問箱」というシリーズの一冊、

「国ってなんだろう?」なのでありました。


国ってなんだろう?: あなたと考えたい「私と国」の関係 (中学生の質問箱)/早尾 貴紀


予て「国」という枠組みは制度疲労を起こしているのではなかろうか…てなことを

折に触れてこぼしてきているわけですが、その「国」というものが作られるときに

「民族」という考え方が出てきますですね。


本来的に「国」というのはある一定の領域を指すものでもありますので、

(「沈黙の艦隊」のように領土を持たずに国家を名乗る考え方もないではないですが)

単純にいうとその領域内にいる人は皆、その国の国民となる可能性があるわけです。


ところが、ヒトというのは動物ですから動き回るわけでして、

そこにあるとき、ここからこっちはA国、むこうはB国という見えない線を人工的に引いたとて

線引きされた周辺部の人たちは知ったこっちゃないという具合でしたろう。


今でこそ、見えなくはあっても国境線の存在は一般的に認識され(線引きの妥当性は別として)、

パスポート・コントロールがなされたりしていますが、それでも陸続きの場所に

いくつかの国が接しているような場合、おそらくはヒトの流動性を無理やりにも

制限していることになっているのでしょう。

とかく島国の者には実感が湧かないことでもありますが。


とまれ、そんなふうに国境を画して「国」のエリアを(誰かしら)が決めたときに

こんどはそのエリア内にどういう人ならいていいけれど、

そうでない人はいてほしくないてな考えが出てきてしまったのですなあ。

「国民国家」とは聞こえがいい言葉ですけれど、その国民の範囲をどうするかということですね。


そこでA国のA国民たるはA民族であることてなふうにも考えられて、

かつて列強に植民地支配されていたエリアが独立を目指す際に「民族自決」が掲げられ、

そのときには有効な頷ける考えだったようにも思うのですが、

どうもそれが突き詰められていくと極端な話、お隣さん同士でも違う民族だと

言い出すようなことになって内戦になってしまったりもするようになってしまった。


つまりは「民族」って何だ?ということになりますね。

例えば、日本民族というか、大和民族というのか、

さも長い歴史の下にかかる民族が存在するかのようですけれど、

先ほども触れたようにヒトは動物で動き回るものだとすれば、

陸地ばかりか海をも越えてやってきたり、立ち去ったりする人たちがたくさんいたわけです。


それを確たる国境線を引いて出入りをチェックするようになったことは

歴史上決して長いことではないのだと想像します。

そんな自由往来が可能だったところへ結構勝手な都合で線引きされて、

エリア内にいるけど「あんたは同じ民族じゃあないけんね」と言われるのは妙な話ですなあ。


局「国ってなんだろう」と考えるときに「民族ってなんだろう」と思ったりするわけですね。

と、これはこの本の中身そのものではなくして、読んで思ったところでもあるわけですが、

かなり刺激的な(中学生向けとも思われない)内容であったことはお伝えしたいところでありますよ。


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