以前、マティスとルオーの展覧会@パナソニック汐留ミュージアム
を見たときに
ルオーの連作の中に「ルサルカ」という一枚があったものですから、「そうだ!」と。
秋に始まったMETライブの2016-17シーズンはまだ見ぬうちにずんずん進行していますけれど、
「そうだ、ドヴォルザークの『ルサルカ』は見に行くことにしよう」と思ったわけでして。
で、折りしも直近でドヴォルザークの「新世界より」
を聴いた後というタイミングで、
METライブ版の歌劇「ルサルカ」を見てきたのでありますよ。
だいたいドヴォルザークがオペラを書いていたのか…と思うくらいに器楽音楽ばかりが有名で、
よくも悪くもドヴォルザークの個性として(「新世界より」などでも)随所に現われるズンドコした曲調は
果たしてメルヘン・オペラとも言われる作品にうまくマッチしてるのかいねとも思ったものでして。
ただ、指揮者のマーク・エルダーなどもインタビューで触れていたように
ワーグナーの影響ありという神秘的な翳りが「ルサルカ」にはうまく発揮されていたようですね。
ですが、個人的にはどうにも話自体に付いていきにくく…という方向に行ってしまうと、
果たしてオペラの鑑賞姿勢としては適当かどうかということにもなりますが。
本来的に「ルサルカ」というのはスラブ系の人々に伝承される「水の精」のようなものであると。
ですが、このオペラでは話の基本線をもっぱらアンデルセンの「人魚姫
」に拠っているのですな。
言うまでもなく「人魚姫」は海に住まう半人半漁の存在ですけれど、
チェコには海が無いことと関わりなしとは言えないことでしょう、ルサルカは森の中の湖にいて、
果たして実体があるのかどうかが不明なのですね。
湖に入った王子がさざなみと戯れたことがすなわちルサルカとのふれあいであると
ルサルカの方では思っているのに、王子はそのことに全く気付いてくれてない。
それだけに、実体を伴ってふれあいたい、つまりは人間になりたいというのが、
ルサルカの願いになるのでありますよ。
こうした思いを水の精の長老ヴォドニク(見ている間は父親かと思ってました…)に
打ち明けますが、ヴォドニクの言うところは、
人間は情熱に生きており、それに思い悩まされ、
挙句には死ぬことにもなるがそれでもいいのかといった諭しであるようす。
ということは、ルサルカのような水の精は情熱には生きておらず、
それに思い悩まされることもなく、死ぬこともない…と解することができようかと。
それでもルサルカの思いは変わらず、森の魔女イェジババに頼み込んで、
自分の声を失うことを条件に人間にしてもらうのですね。
そして実体を伴って王子と出会ってみれば、王子は瞬く間にルサルカに恋をして、
城に連れ帰り、結婚式も目前という具合にとんとん拍子の展開になる。
さりながら、どうにも王子は熱しやすく冷めやすいようで情熱的なアプローチを仕掛ける
外国の王女が登場するに及んで、クール・ビューティーなルサルカでなく情熱王女に
参ってしまうとは、やはり人間は情熱に生きていることを表したいのでしょうか。
この点、演出としてルサルカは常に青白いドレス、一方で外国の王女は真っ赤なドレスと
何とも分かりやすい構図になっておりましたですよ。
と、この演出の関係から推測するに、
そもそもイェジババの魔法は中途半端なものだったのではないでしょうかね。
歌唱の無い役どころとしてイェジババの家来のような存在が3人(3匹?)出てくるのですが、
一人は体は人間ながら頭としっぽがねずみ、もうひとりは顔が半分人間で半分猫、
最後のひとりは片腕が人の手ながらもう片腕と頭はカラスという具合に、
結局みんな魔法の失敗なんでないの?と想像されるわけです。
これからしても、ルサルカにかけた魔法が中途半端なものになっても不思議はない。
ですから、人間は情熱に生きるものとされておりながら、
人間らしい姿かたちにはなったもののルサルカにはそれらしさがまるでない。
それを視覚的には青いドレスで情熱的とは見えないよう分かりやすく示しているわけですが。
結局のところ、王子に相手にされなくなったルサルカは森に逃げ帰りますが、
王子恋しやと思い悩むことになり(このあたりは人間っぽい)、こんな状態ならば
いっそ死んでしまいたいとも思っても「なぜ死ねないの」と歌うことになってしまうのは
やっぱり人間になっていないのだなと考えた方がいいわけですね。
果たしてルサルカは人間になったのかなれなかったのか、
見ている方が思い悩んでしまい…といって死んでしまいたくなったりはしませんが、
実に釈然としない迷路に入り込んでしまったかのよう。
それをイェジババの魔法がいい加減なものだったからとすれば、
いくらか理解しやすいと考えたわけですが、本来の筋立てにおそらくその理解はないでしょう。
どうも西洋世界の精霊とか妖精とかの受け止め方をあいまいにしたまま
話を分かろうとすることに無理があったのかもしれんと考えたりもしますが、
音楽の良し悪しとかいうこととは全く別の点で(つうことは集中もできず)
「うむむ…」を抱えてしまったのでありました。

