東京芸術劇場で読響の演奏会を聴いてきたのですね。

正指揮者、首席客演指揮者として10年間、読響と関わってきたという

下野竜也 の退任記念?演奏会とあって、凝った演出…というより

ほのぼのと懐かしいような気がしたものですありますよ。


読売日本交響楽団 第195回土曜日マチネーシリーズ@東京芸術劇場


曲目はパッヘルベルのカノン、フィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第1番、

そしてドヴォルザークの「新世界より」 という3曲で、繋がりのなさそうなプログラミングながら

指揮者のこだわりが反映されたものであったとのこと。


まずは、読響で交響曲を全曲振ったというドヴォルザークを最初に決め、

アメリカ繋がりでフィリップ・グラスを持ってきて、ミニマル・ミュージックの反復性から
パッヘルベルのカノンを…ということだそうで。


最初のカノンは弦楽合奏でしたけれど、指揮台の前には低弦だけをまとめて、

ヴァイオリン、ヴィオラはステージ奥のひな壇の上に扇形に並んで配置されるというこだわり。

低音のベールを高音のカスケードがくぐりぬけてくるようで、こういっては大袈裟ですが

シアターピース的なパフォーマンスの一歩手前かとも思いましたですよ。


続くフィリップ・グラスの静謐さは映画「めぐりあう時間たち」の音楽(これもグラス作品)を

思い出させてしみじみ聴き入り、「新世界より」はいつものごとくきびきびした指揮ぶりから

引き出されたエッジの利いた演奏は耳タコの音楽をリフレッシュしてくれていたなあと。


そして、向かえたアンコール…って、アンコールが演奏されること自体、

最近の読響では稀なことではありますけれど、パッヘルベルのカノンがもう一度だったのですな。


しかも、演奏会の始めのときには弦楽合奏であったところが

アンコールでは弦がお休みして管楽アンサンブルでスタート。

後に弦も加わってフルオケになると、オーケストラという大きな楽器が

いかに色彩感に溢れているかを再認識させてくれるのでありますよ。


そして、フルオケでひとしきりたっぷりと鳴らされた後には、

少しずつ楽員たちが退場していって音楽がひそやかになっていったのでありますよ。

最後の最後にはコンサートマスターひとりが演奏しながら退場、指揮者もこれに…付いていき、

舞台は静寂に。


このあたりはハイドン のさよならシンフォニーを思い出すといった方が普通かもですが、
個人的には自らの演奏会経験の方を思い出すのでありまして、

それが冒頭にほのぼのしつつも懐かしいと言いました所以なのでして。

(もっとも学生オケにいたわけでなくして、吹奏楽ではありましたけれど)


大学のときは毎年12月に年間活動総まとめ的な演奏会をやっておりまして、

その際のアンコールにはいつも決まった締めくくりの曲があったのですね。

それがゆったりしたテンポの讃美歌だったものですから、ちとパッヘルベルのカノンにも

雰囲気として重なったのですよ。


そして演奏が進むに連れて、

ひとりずつ卒業間近の4年生が同じパートの下級生にひと声かけながら退場していき、

やがて指揮棒も下級生にバトンタッチされて…という形が恒例だったものですから。

懐かしくなと思ってしまったわけでして…。


とまれ、クラシック音楽の演奏会では

品のいい遊びの要素(あまりおふざけになると興ざめなのですが)を演出してみせることは

とても珍しい中で、後味さわやかに仕立てられた演奏会であったなと思うのでありました。


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