さて、養老酒造大井俣窪八幡神社 と少々の立ち寄りをした後は、
山梨市駅から石和温泉の宿へと直行することに。


山梨市駅の桃オブジェ


もう少し後の季節なれば、

駅にかようなオブジェが置かれてあるように桃の花見てなことも出来たのでしょう。
場所によっては「ピンクのじゅうたんを敷き詰めたような桃畑」だったりするそうですし。


とまれ、JR中央本線の普通列車で二駅、石和温泉に到着すると、宿の送迎車へ。
先に興津 で利用したのと同系列の温浴施設「石和健康ランド」にたどり着きました。
(同行者にこの温浴施設を痛く気に入っておる者がいるものですから)


宿に入れば当然のように岩盤浴で汗を流して湯にもつかり…と温まることになるわけですが、
山梨県のこのあたり、温泉場とはいっても全般的にはオフシーズンのようですな。
(もっとも、この温浴施設は日帰り客も含めてごった返しておりましたけれど)


そこで石和温泉の旅館組合としても、集客に一計を案ずる必要がある。
何か催し物でも開催せねば…ということでありましょう、
2月中の金土日限定で「冬花火~笛吹川の舞~」なるイベントが開催されているのですなあ。


「冬花火~笛吹川の舞~」@石和温泉

石和温泉本来の旅館やホテルは中央本線と笛吹川とに挟まれたエリアに点在していますので、
笛吹川の川原で打ち上げられる花火は寒い中もちょとつっかけで…と出かけられるのでしょう。


ですが、孤高の温浴施設(?)はかなり離れておるものですから、出かけていくには容易でなし。
幸いにも部屋の窓が川方向に開けていましたので、遠目ではあるものの部屋をまっくらにして

室内鑑賞を敢行することにしたのでありますよ。




しかしまあ、打ち上げ花火といえば夏の風物詩という印象ですが、昨今はそうでもないようす。

ちなみにと「冬花火」でググってみればあちこちで打ち上げられているというのが分かりました。


それでもやっぱり「冬」の花火とことわってしまうのは、

日本人の意識の中に「花火は夏だよねぇ」というのが刷り込まれているからでしょうか。

ですが、その刷り込みというのも決して昔、昔のその昔からというほどではなさそうなのですなあ。


そもそも今につながる花火大会の起源は享保十八年(1733年)、

両国の川開きの日に花火を打ち上げたことだとか。


前年に発生した飢饉とコレラのダブルパンチで江戸でも多くの死者が出たことから

時の将軍徳川吉宗 は供養のために隅田河畔で「川施餓鬼」を実施、

それが翌年にはスケールアップして花火も上がり…となっていったようで。

あちこちに花見の場所を設けたりして、庶民に楽しみを提供した吉宗らしいところでしょうか。

ですが、当初は打ち上げ数も少なく夏の夕涼みに時折上がる打ち上げ花火…てな状況かと。
夏の花火大会が比較的ゆったりしたペースで、かつ長い時間をかけて展開するのは

そうしたことの名残りなのかもしれません。


そうそう、夏場ということとせかせかした展開でないということは

お盆に絡む行事のありようが花火大会のイメージに影響したということもあるのではと

思ったりもするところです。


それに比べてハンブルクフランクフルト で見た花火、最近は日本でもあるようですが、

花火とレーザー光線と音楽によるショーといった体裁のイベントは

短い時間で密度濃く行われている。そして、夏場に限らない。

同じ花火を見るにしても雰囲気はずいぶん違うものであるような。


で、石和の「冬花火」ですが、時間的には20分ほどで

間延びしない程度に次々上がる感じでしたでしょうか。
まあ、外で見上げている側はかなり寒い時季ですので、長さもほどほどが良しということで。


花火の専門家(?)によれば「冬は空気が澄んでいる分、花火がくっきりきれいに見える」とのこと。
だんだんと「冬に花火?」という感覚は無くなっていくのかもしれませんですね。


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