天気予報どおりに鹿島神宮 で降り出した雨はやがて強い風を伴って、
通過する低気圧を目の当たりにするような気のするお天気となったのですね。

おかげで北浦を見下ろす高台にある潮来市の宿では得られるはずの好展望に恵まれずじまい。


お天気に恵まれれば水郷と呼ばれるこの辺りでの観光もないではないはずですが、
翌日も引き続き午前中は雨雲の名残りが多かったものですから、
常陸利根川、利根川と渡って渡って茨城県から千葉県に戻ることに。


近隣との合併の結果として今では香取市となっていますが、
かつての佐原市の中心街、佐原(さわら)の町へとやってきたのでありました。


何度も触れておりますように江戸期には舟運 が大層栄えるわけですけれど、
利根川沿いにあって、北には霞ヶ浦と繋がるこの佐原の町も
物資の中継基地として大いに繁栄したそうな。
それを称して「江戸優り」とは意気軒昂のほどが窺えるというものです。


江戸優り佐原

ですが、やがて舟運の命運が尽きて後は佐原の町も他の河岸同様に賑わいを失い、
「江戸優り」の看板をあちこちにある「小江戸」のひとつに掛け替えて
昔ながらの町並を観光資源としているのですなあ。


佐原の路地裏


街なかを抜けて利根川に流れ込む小野川沿いやこの川と交差する香取街道の周辺には
江戸の名残りを偲ばせる景色が点在しておりましたですよ。


小野川べりの家並み@佐原

取り分け川沿いの風景は纏綿たる情緒あるたたずまいではありませんか。
そぞろ歩きの徒然に「利根の川風袂に入れて~、月に掉さす高瀬舟」てなひと節を

ついつい口ずさんでしまいそうです。


ですが、利根川はもっと大きいから雰囲気は違うか…とひとりぼけ突っ込みをしながら

念のため検索してみますと、先ほどのひと節の後の方には

「…佐原囃子の音も冴え渡り、葭の葉末に露おく頃は飛ぶや螢のそこかしこ…」と続くようで。


やっぱり佐原だったんだぁねと、自分で驚いてしまったような次第ですが、
どうやら出所は浪曲天保水滸伝 」だったのですなあ。


「天保水滸伝」で思い出すのが

先に立ち寄った息栖神社 に力石を奉納していた侠客の笹川繁蔵ですけれど、
JR成田線で佐原駅から銚子方向へ3つ目に笹川という駅がある(と、初めて知ったですが)。

つうことはこのあたりを領分としていたのでもあろうかと思ったりして、

河岸人足で賑わう佐原にも賭場が立ったりしたでしょうか…。


一方、敵対する相手方の親分は飯岡助五郎。
利根川を下りきった銚子から岬を南に回んだ現在の旭市に飯岡という地名がありますね。
こうした縄張りの両者が大利根河原で大喧嘩をするのですから、

侠客たちも利根川水運のやっかいになっていたことでありましょう。


またしても話は横道ですけれど、

ともあれ佐原はちょっとしたタイムスリップ感を味わわせてくれる街並が残っているのでして。



また明治以降の近代化を偲ばせるこんな建物もありました。

大正3年(1914年)に建てられたレンガ造りでドームをいただいています。


三菱館@佐原


旧川崎銀行佐原支店として建てられた建物ということですが、

ここでの銀行開業は明治13年(1880年)であったとは。

渋沢栄一らが第一国立銀行を設立したのが明治6年ですから、さほど経っていないような。

それだけ明治の初めに佐原は江戸優りの栄華の余韻があったのでしょうなあ。


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