やおら「東国三社紀行 」に取り掛かってしまってますけれど、
「南西ドイツ紀行 」が少々お留守になっておりました。
終わりが近づいてきているだけに、これまた同時並行で進めることにいたします。
さて、ようやっとマウルブロン修道院そのものの話へと進めてまいろうかと。
このときの旅では、シュパイヤー大聖堂 、ヌフ=ブリザック に続いて
3箇所目の世界遺産ということになるのありまして。
中世の修道院のようすをよく今に留めていることが世界遺産たる由縁のようですけれど、
修道院とは単に建物ではないのすなあ。ひとつの村であり、陣地のようでもあるような。
かような堀が廻らされているのですから、
ヘッセも逃亡するには大変だったのではないですかねえ。
それはともかく、往路のアプローチ からすると修道院の裏手に出るとは先に言いましたですが、
この際ですから外側を回り込んだことにして、正面から覗きにいくことにいたしましょう。
「マリアブロン修道院の入口、二重の小さい柱にささえられているアーチ型の門」と
ヘッセが「知と愛
」に書いたのがこの入り口でありましょうか。
ヘッセが潜り、それ以前にはケプラーやヘルダーリンが潜ったことを思いつつ、
いざ修道院の中へ。
と、これは入ってほどなく入り口方向を振り返ったところ。修道院の中へ入った…というより、
普通に家並みがあってやっぱり村へ入り込んだふうに見えるのではなかろうかと。
さらに進んで中央の広場に出ても、それぞれに独立した建物がいろいろと並んでおりますね。
Wikipediaに曰く「診療所、食堂、貯蔵室、鍛冶場、宿泊所、桶工場、製粉所」などなど、
それぞれの建物は様々な機能を担って、修道院という修行のための閉鎖的空間を
自立させていたのでありましょうね。
今では観光向けでしょうか、レストランになっている建物もありますが、
全体のレイアウトはこのようなふうになっております。
左下はじの門から入り込んで、中央の広場の左側というか、上側というか、
建物がたくさん並んでいるのがお分かりいただけようかと。
ですが、やはりメインは右手にある中庭を抱えた大きな建物、
修道院に付属する教会であるのは、まあ当然のことでありましょう。
ところで言い伝えによります、ラバが泉を見つけた場所に修道院を建てたのだとか。
ラバはドイツ語でMaultierとかMaulesel、泉はbrunnen…だからこそのMaulbronでしょうか。
創建は1147年だそうでありますよ。
とまれ、教会の建物に足を踏み入れてみますと、
なるほど歴史を感じるなあ…としみじみしてくるわけですけれど、
その一端でも感じていただくことができましょうかどうか。
ヘッセの「知と愛」を読んだのはマウルブロン修道院を訪ねて後のことではありますけれど、
思い返すだに両者が溶け合う気がしてきます。
黒い森の逍遥に明け暮れたゴルトムントとは対照的に、
修道院でひたすら神と向き合い続けたナルチスの祈りの場所はここでもあらんかと。
虚飾を排した中でひたすら神に祈り、自らを省みていたナルチスを思うにつけ、
厳かな、という以上に厳しい空気が感じられたなと思い返すのでありました。
ただ虚飾を排したとは言いましたですが、
ところどころで見られる装飾は小さいが故に反って引き立つような気も。
外の暑さを忘れさせてくれる礼拝堂にいて、
しかもたまたまにもせよ、他に出くわす訪問者もない空間独り占め状態の中で、
キリスト者でなくとも敬虔な、といいますか神妙な心持ちになった
マウルブロン修道院なのでありました。