ライン川
は大河なだけあって自然の要害でもあることから、
古くはローマとゲルマンの間で攻防が繰り返されましたですね。
その後もアルザス・ロレーヌ地方をめぐって
神聖ローマ帝国(ドイツ)とフランス王国とが奪い合いを続け、
20世紀にまで尾を引くことになりますし。
ですが、攻防が繰り返されたのは何もアルザス・ロレーヌ地方ばかりではないわけで、
ライン川に寄り添うシュパイヤーもまた例外ではないと。
プファルツ継承戦争(1688~1697)では町がぼこぼこにされたり、
ナポレオン戦争の時期はフランス占領下に置かれていたりしたそうな。
しかしまあ「プファルツ継承戦争」とは懐かしい言葉ですなあ。
昔々に世界史の授業で出てきたことは覚えとりますが、どういうものであったか…?
ざっくりと言ってしまうと、こういうことでしょうかね。
神聖ローマ皇帝の選挙権を持つ選帝侯の一人に数えられるプファルツ選帝侯。
その領土は、今でもドイツにはラインラント・プファルツ州という地域がありますけれど、
ラインに沿ったあたりを広く含んでいて、言わば「ラインの火薬庫」みたいなところだったかも。
西隣のフランスでは領土拡張に野心を燃やすルイ14世(1638~1715)が
プファルツ選帝侯カール2世の死後、後継者に難癖をつけて開戦。
神聖ローマ帝国やドイツ諸侯を相手に大戦さを繰り広げたというものですね。
この戦争は結果的にフランスに余り利のない形で収束するも、
「続きはスペイン継承戦争でね」てなもので、ヨーロッパの戦争はひっきりなしに
続いていくような時代だったのですなあ。
とそれはともかく、ルイ14世のフランス軍にぼこぼこにされたシュパイヤーですが、
マンハイムへ戻る列車に乗るため駅へと帰る道筋を往路とは異なるルートを取りますと、
年代のほどは定かでないながらもそれぞれにヨーロッパらしいかなと思える建造物などが
いろいろと目に止まったのでありますよ。
これは歴史博物館(Historisches Museum der Pfalz Speyer)の建物。
マヤ文明展を開催中でしたが「何もここでマヤ文明を見なくても…」とパスしたところ、
どうやら大聖堂のお宝はここに収蔵されておる…とは、後から知ったのでありました。
お次は三位一体教会(Dreifaltigkeitskirche)ですが、
教会というわりにはおしゃれな感じは別の用途の建物であるような。
ただ教会前の通りに「Jakobspilger」なる像があって、やっぱりキリスト教がらみだなと。
聖ヤコブ巡礼の意でしょうから、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の像。
大聖堂から西へ、ちょうどスペイン目指して歩き始めたところでしょうか。
逆光で顔つきが分かりませんが、実物は淡々としつつも晴れやかな表情だったですよ。
こちらはちょっと路地の奥みたいに見えますが、旧造幣局(Alte Münze)のようですね。
昔の建物の再活用法としてショッピングモールのように使うケースがままありますが、
ここもそうで、もちょっと先にある旧郵便局(今はPostgalarie)もご同様でありました。
と、目にとまったところを次々に記しておりますけれど、
シュパイヤーの町でおそらくは大聖堂に次ぐランドマークといえばこれではなかろうかと。
「Altpörtel」(古い門)と呼ばれるこの建物は、
かつてシュパイヤーを囲っていた市壁の、西側の門にあたると言います。
始まりは13世紀だそうですから、これはなかなかの歴史と風格といえましょうか。
てなことで、シュパイヤー駅まで戻ってきたわけですが、
大聖堂までの往路はふいに路地に折れ曲がったりする「世界ふれあい街歩き」っぽく、
帰路の方はちょっと観光らしさを加えた「ゆらり散歩世界の街角」っぽく歩いたような。
さて、それでは近郊列車Sバーンに乗って、マンハイムへと戻ることにいたします。