前に一度立ち寄ったことはありますけれど、
御茶ノ水の明治大学博物館
へと行ってきたのですね。
「江戸から東京へ―錦絵に見る日本近代の曙」という展覧会を開催中で、
何といっても魅力は(國學院大學博物館
もムサビ
も同様ですが)入場無料ということで(笑)。
何でも明治大学には850点ほどの錦絵コレクションがあるのだそうですな。
今回展は浮世絵が「浮世を写す鏡」でもある点から、幕末明治の世相を垣間見るものとして
コレクションからピックアップして展示しているようす。
先に英泉や広重の「木曽街道六拾九次
」を扱った本に出会ったことでもって、
浮世絵に関する目の付け所に少しばかり磨きをかけ?展示に臨んだのでありますよ。
面白いなと思った何点かに触れておきたいと思います。
まずは「東都日本橋大隊練行之図」という一枚。
一曜斎国輝(二代目歌川国輝)による慶応三年(1867年)の作です。
右手にお決まりの富士山と江戸城が見えることから、
日本橋を北から南へと渡る洋式の軍隊が東海道を上っていくように見えますが、
洋式とはいえ、慶応三年段階でありますしこれは幕府軍でありましょう。
ですが、先頭を行く旗印は葵の御紋ではないのだぁねと思っていましたら、
幕府陸軍は日の丸を使っていた…とは知らなかったですねえ。
こうした行軍を通じて幕府の威信を誇示しているようですけれど、
翌慶応四年の年初から始まる戊辰戦争に幕府軍が敗北するのは既に歴史で知れていること。
ここに描かれたような木造の橋、川岸に並ぶ土蔵はまさにお江戸の風景ながら、
ともすれば江戸市中が灰燼に帰すかもしれない状況に直面するとは、
この段階では知る由もなかったのでしょうなあ。
ところで明治以降になりますと、新奇な建物が建てられ始めますですね。
いわゆる擬洋風建築ですが、立派な洋風建築の外観を見せながら、
実は日本の伝統的な材料で何とか見目を確保していたりするという。
明治6年に国輝が模写したものという「東京駿河町三井組三階家西洋形之図」は
明治政府の御用を務めて後に大財閥となる三井組
の本社社屋ですけれど、
大理石でもあるかのような壁は漆喰塗りであり、柱頭装飾は木製であったそうですし。
三井組の羽振りは国立銀行の開設でも分かりますですね。
全く勘違いをしておりましたが、明治6年に渋沢栄一を総監に開業する第一国立銀行とは
「国立銀行条例」に基づくところから「国立」とありますが、今でいう全くの私立銀行だそうで、
三井組と小野組の合弁で設立されたものなのだとか。
国輝はまた「東京府下海運橋兜町第壹国立銀行五階造真図」を開業の年に描いてまして、
実際を写しとったものかは分かりませんけれど、建物のてっぺんに翻る旗には
カタカナで「バンク」と書いてあるのですな。いかにも西洋風を有難がった時代のようで。
さらには、これが洋風とは勘違いなのでは?というものもあり、
開国して築地
居留地に建てられた「築地ホテル」なぞは、
明治2年に国輝が描いた「東京築地ホテル館」を見る限り、
全面なまこ壁で覆われたようでもあり、何とも風変わりなものを見たぞ感が強いですなあ。
こうした、それまでに無い大建築が建てられ
てお江戸はすっかり洋風の東京に早変わり…かと思えば、さにあらず。
三代目広重が「東京名所従日本橋北之通瓦斯燈夜之景」に描いた明治6年のようすは
三井組こそ抜きん出て大きな建物ながら、その廻り土蔵造の二階家ばかり。
東京のスクラップ・アンド・ビルドはまだまだのようですけれど、
おそらく町並みとして江戸との縁切れは関東大震災かもしれませんですね。
と、およそ図の引用がありませんとぴんと来ない話だったかもですが、
ご興味がおありの方はぜひ画像検索してみてくださいませ。