何度かお話しておりますが、

両親、取り分け母親がTVの時代劇ドラマを大好物にしていた時期がありまして、

かつてTVを見たいさかりの頃に夜の8時は毎日時代劇オンリーということがあったのですね。


こうなりますと、個人的な好き嫌いに関わらず、TV時代劇の世界、

つまりは江戸期の名奉行やら岡っ引きやらが主人公になって、

いかにもな悪い奴が懲らしめられる…という世界が馴染みになってしまうわけでして。


そんなふうにして、TVで見た世界があたかも本当に江戸時代の一面を写しているかのように

思い込んでしまっていたところが、どうやら様子は全く違うようで。

「江戸『捕物帳』の世界」なる祥伝社新書の一冊を手にしてみれば、

そうであったか…と思うのでありました。


江戸「捕物帳」の世界 (祥伝社新書)/祥伝社

お馴染みの時代劇の中でも、大川橋蔵 主演の「銭形平次」はその息の長さから言っても

(何でも全部で888話が放送され、ギネスブックに認定されているそうな)

取り分け記憶に残るものであろうかと。


神田明神下の平次親分が「もつれた謎を解」いては悪人ともとの立ち回りに及び、

奉行所同心が駆け付けた頃にはすっかりお縄に。

例によって平次親分のお手柄で終わるのですな。


ですが、そんなお決まりのパターンは全くの虚構であったかと、

遅まきながら悟らされたのが、本書にあったこの一文でありました。

時代劇ドラマや小説で、岡っ引きは独断で捜査し犯人を捕縛しているが、非常の場合以外には、同心の命令がなければそんなことはできないのである。

「ほげ?」

銭形平次に限らず、半七、伝七、人形佐七(何故かみんな「七」ですな…)といった

岡っ引きが活躍するドラマ(小説)は数多あれど、その活躍度合いはどれも似たようなもので、

つうことはみんな岡っ引きが独断専行しているわけでありますなあ。


だいたい史実に従えば、岡っ引きには「蛇の道は蛇」ということなのか、

スリの親分なんかがなっていたこともあるようですし、目を転ずれば

博徒の大親分である飯岡助五郎 も八州廻り(関東取締出役)からの十手預かりとなって、

「二足のわらじ」などと言われることもありますし。


幕府としては、

そんな得体のしれない岡っ引きやら下っ引き(平次の子分の八五郎のような)やらを

奉行所(実際には同心)が使うのを禁ずるお触れを出したりするのも再三再四であったとか。

いやはや…。


また、岡っ引きものとは別に「大江戸捜査網」という時代劇ドラマでは

隠密同心が大立ち回りを演じて、悪人を成敗していきましたですが、

この役割もドラマの印象とはずいぶんと違うようでして。

「隠密廻り同心」は奉行直属で、…南北町奉行所から各二名が選ばれ、探索によっては変装もし、活動範囲は江戸市中に限らずかなり遠くまで出張し、危険な調査活動もするが、直接に犯人の捕縛はしない。

「直接に犯人の捕縛をしない」立場の人たちが、

相手が悪人とはいえばったばったと切り捨てる…というのも、

考えてみればおかしな話だと思わなきゃいけんところだったのでしょうなあ。


ところで、落語の噺によく出て来ますですが、

「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」という言葉がありますね。

何だってそんなに密な関係になるのかということですが、こんな事情があったようで。

店子が賭博や岡場所での淫売、失火などの犯罪を犯せば、家主も連座して過料や押込の罰を受けるため、家主は普段から店子の相談に乗ったりして気を配らねばならなかったのだ。

やはり落語でよく聴かれる「三方一両損」は大岡越前守 の名裁き(大岡政談)のひとつですが、

その中にお白州に大家さんも一緒に並んでいるようでしたですね。

人口過密になった江戸市中の警察機能は奉行所だけではとても手が足りないこともあって、

日常的な犯罪抑止力をこうしたところに求めていたのでありましょう。


こうしたことのほかに本書には、牢屋敷は刑務所でなく拘置所に近いものであったとか、

悪徳商人と結託して私腹肥やすイメージばかりができてしまっている「代官 」は

(「越後屋、そちも悪よのう」「いえいえ、お代官さまほどでは」(両者笑い)てな台詞で有名)

租税の徴収ばかりでなく日常的な領民の紛争和解・訴訟にも当たるなど、中々に忙しそうとか、

町奉行所での裁判手続の流れであるとかいったことが紹介されておりました。


きちんとした時代考証がなされていない時代劇ドラマを見るときには

(丸々信じてたわけでもないですが)「娯楽作」と割り切って見ないといけませんですね。

といっても、そういう娯楽時代劇にお目にかかることはほとんど無くなりつつありますけれど…。


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