さて初めての本栖湖
探訪を終えた後はもと来た道を少々戻って、
次には精進湖を訪ねます。こちらは二度目になりますか。
前回は身延線の側から四尾連湖(しびれこ)という山中の小さな湖を経て、
尾根道を歩きに歩き、蛾ケ岳(ひるがたけ)、三方分山といった山越えで
精進湖に下ったというルート。
改めて精進湖畔に立って振り返れば「この山並みの向こうから歩いてきたんだっけな」と
懐かしくなるところでもありまして(若い頃は元気だった…)。
昔話はともかくも精進湖ですが、
公営駐車場の段階ですでに湖越しの正面に富士山がどお~んと。
こりゃあ明治の頃に来日した外国人が絶賛したのも頷けるところかと。
「富士の国やまなし観光ネット」には、こんなふうに紹介されています。
富士五湖の中で一番小さい湖です。その景観は、既に明治期に英国人ハリー・スチュワート・ホイットウォーズが「世界一美しいショージコ」、「東洋のスイス」として海外で紹介されていました。
なにやら主語と述語がねじれた紹介文ですけれどそれはともかくとして、
精進湖畔に下りて富士山を狙うとこのような感じになりますですよ。
本栖湖からでは左手の裾野を隠してした大室山が、
こちらでは真正面に重なっている(小さく見えますが標高1468m)。
ですので、長く引く裾野まで見えるという点で、ホイットウォーズさんは惚れ惚れしたのやもです。
しかし、湖畔では折りしも寒風が俄かに強まった感があり、寒いなあと。
ただ富士のお山があの程度しか雪を頂いていないのですから、やはり暖冬なのでしょうけれど、
まあ、標高およそ900mですからねえ、そりゃあ寒いのも当然ですね。
ところで、標高がおよそ900メートルとは、本栖湖と同じではないかとお気付きの方がおいでかも。
実は本栖湖とは反対隣の西湖もまた同じ標高(湖面の標高)なのだそうですね。
元来、3つの湖は大きなひとつの湖だったのが、
富士山の溶岩流で切り離されたという悲しい過去?を経験しておるのですなあ。
(伝説ではなくして、本当の話らしいですが)
ですが、離れ離れになりたくない3つの湖は秘かに地下で手を結ぶ…ように
水路を通じている。そこで3つの湖の湖面の上昇下降は連動しているのだそうな。
(といかにも伝説っぽく話してますが…)
ということで似たもの兄弟と言えないことはないのですが、やはり違いもあるわけで。
まず湖岸の浜辺が精進湖は本栖湖のほどにはざくざくではないですね。
そして本栖湖には見られなったですが、湖上にはわかさぎ釣りらしきボートがちらりほらりと。
釣れるということは当然にわかさぎがたくさんいるということになりますが、
精進湖は魚の餌になるプランクトンが多い…つうことは、湖の透明度は低いわけですな。
透明度3mほど(Wikipediaによる)とは、兄弟の本栖湖とはずいぶん個性が違うようで。
時に、頃はまさにお昼どきで、精進湖らしさでもある名物のわかさきを食そうかと。
ちょうど公営駐車場の前に一軒だけ開いていたレストラン(冬場は閉まる店が多いのですな)に
「わかさぎ定食」とののぼりが寒風にちらちら揺れておりましたので、早速入り込む。
登場したのはわかさぎのフライの定食ですな。
ひと口サイズながらなかなか盛りがよく、おまけに付いてる小鉢が豊富。
たっぷりといだだいたところで、精進湖を後に次へと移動に掛かります。


