甲府
側から富士五湖に抜けるにはどうしても御坂山塊を越して向こう側に出る必要が。
その限られたルートのひとつが国道358線で、
山越えのあたりは「精進ブルーライン」と呼ばれているようですなあ。
名前の通りにトンネルを抜けるとそこは精進湖だった…てなことになりますけれど、
富士五湖巡りの最初はやはりもそっと奥に控える本栖湖を目指すことにして、
いったん精進湖はスルーすることに。
やがて河口湖方面から富士宮を繋ぐ国道139号に出て、これを右折するとほどなく
富士五湖第一の目的地である本栖湖に到着となるのでありました。
案内板に「山梨県上九一色村」とあるのが、年月を経たことを感じさせようかと。
大騒ぎを巻き起こした事件に関わる地名として、突然に知名度全国区になりましたですが、
2006年に村は分割、北部は甲府市に、南部は富士河口湖町に編入されて、今は無い地名です。
ちなみに案内板の説明書きは次のごとし。
本栖湖は富士五湖の最西端に位置し、海抜902m、周囲12.9km、…水深は富士五湖中もっとも深く138m、そして18mを誇る透明度、水深と透明度では日本でも有数のものです。
…という本栖湖ですけれど、駐車場前の湖岸に下りて「さて富士のお山は…」と見渡せば、
ちょいと振り返り気味にしてようやっとお目にかかれたのでありました。
それにしても、本栖湖のこのあたりはいささか荒涼とした印象がありますね。
富士五湖の元々は富士山の噴火によるのでしょうけれど、
その溶岩の名残りを最も目の当たりにできるのが本栖湖であったように思います。
浜辺なども溶岩が砕けたものでしょうか、ざくざくした印象。
革靴で踏み込むと疵だらけになること必定かと。
ところで、本栖湖からの富士山の見え具合を先ほどの一枚だけで紹介すると
「あまり見栄えしないね…」となってしまいましょうけれど、
実は日本銀行券千円札の裏面左手に描かれた富士は本栖湖畔からの眺望であるとのこと。
もそっと湖を廻りこんで、見晴らしのきく場所へと移動してみたわけです。
考えることは誰しも同じで、湖岸を回るうちに
駐車スペースといえるようないえないようなところに数台の車が停まっていたりすると、
まずは見晴らしのあるところなのですなあ。
そうしたところまで出張った結果はこの通り。
千円札に描かれた富士山の絵は
写真家の岡田紅陽(忍野村に写真美術館あり、ただし行ってない)が撮った写真をもとに
デザインされたようでして、その撮影スポットの近くにまでは来ていたようです。
(千円札を取り出して比べてくだされば分かりますが)絵の方は
右手の裾野を手前の山が隠していますけれど、この写真は結構長く引いてますから、
本当はさらにもう少し廻り込んでみると「まさに!」の場所なのでしょうけれど。
とまれ、ようやくにして「富士五湖紀行」の看板に見合うお話の
スタートとなったのでありました。


