ようやくにしてプラド美術館の収蔵品を見ることができたのでありますよ。
もちろん唐突に「マドリッドに来ています」なんつうことではありませんで、
三菱一号館美術館
で開催中のプラド美術館展を見てきたわけですが、
かれこれ20数年前にもなりましょうか、プラド美術館の前まで行きながら入れなかった…
という経験があるものですから。
入れなかったというのは「仕事の都合」で止むを得ず。
引き連れた団体に付いた2名の添乗員のうち、そのときはサブの役割だったもので、
プラド美術館の脇道に停まったバスに居残って荷物番をすることに。
誰もいないと窓ガラスを割られて、あれこれ持ち去られる心配があったのですなあ。
見張ってますから、どうぞ皆さんは心起きなくプラドの至宝をご覧くださいまし…
というわけでして。
以来、いつかまたと思いつつマドリッド再訪の機会は未だやってきておらず、
やっぱりこの際見ておくかということに。
普段、有名どころの美術館からの引っ越し展は混雑が甚だしいので大体敬遠してしまいますが、
行ってみたらはさほど酷い混みようでもなったことに、まずはほっとしたというか…。
それはともかく内容ですけれど、小粒な大作(?)ぞろいの展示でありましたなあ。
ティツィアーノ、グレコ、ティントレット、グイド・レーニ、ヤン・ブリューゲル、ルーベンス、
そしてベラスケス
にムリリョ。大層な揃い踏み状態ではありませんか。
分けてもベラスケスの肖像画「フランシスコ・パチェーコ」(1619-22)は、
グイド・レーニ「花を持つ若い女」の肖像(1630-31)に続いて目にすることになる一枚ですが、
レーニ作品よりも制作年代では古いにも関わらず、陰影のつけ方がもはや古典ではないのでは?
と思わせるあたり、ベラスケスの面目躍如でもあろうかと。
ちなみにグイド・レーニの「花を持つ若い女」も素敵な作品。
すぐお隣にティントレットの「胸をはだける婦人」という枕絵的な(とは失礼ながら)作品が
掛けられているものですから、清楚な気品が際立つことになりまして。
ムリリョの「ロザリオの聖母」は入場者による人気投票で堂々一位になっている作品でありますね。
ムリリョ以外にはこれほどマリアを無垢な少女のようには描くまいという、いかにもな一枚で、
むしろ抱かれている幼子イエスの方が大人びたふうに見えるくらいではなかろうかと。
この後はほぼ年代順に展示が進んでいき、フランドル絵画(スペイン領でしたし)のあれこれも経て、
やがてゴヤに到達すると、(家政婦ならぬ)宮廷画家は見た的なところから来る
風刺、揶揄が醸されたり。
この辺りをすっかり端折るのは本意ではないながら、
プラドと聞いて思い浮かべる古典的な作品群とは異なる19世紀絵画に目を瞠ったからなのですね。
ちょうどポストカードで手に入った2枚に触れておこうかと思います。
ひとつはビセンテ・パルマローリ・ゴンサレスの「手に取るように」(1880年)。
海辺という屋外風景をバックにして、肖像画に特化しているものではないですけれど、
たまたま昨今引き合いに出しているジョン・シンガー・サージェントを思いだすような。
衣服の質感、そして手袋がいいですなあ。
そしてもう一枚は「フォルトゥーニ邸の庭」(1872-77年頃)という作品、
マリアノ・フォルトゥーニ・イ・マルサルとライムンド・デ・マドラーソ・イ・ガレータの合作です。
この目がちかちかしそうなくらいに眩しい太陽光はスペインならではと思いますし、
それを写し取る再現性はおそらく写真以上でありましょうね。
あまりに眩い陽光に曝されると、ひとの目は景色をこの絵のように見てしまう…とも言えますし、
この絵を見ていると、まさに今眩い陽光に目が曝されているかのように思えてくるとも。
今回ここでは、フライヤーに使われたメングス「マリア・ルイサ・デ・パルマ」の肖像も、
初来日と宣伝されるヒエロニムス・ボス「愚者の石の除去」も素通りしてるっぽくなってますが、
まあ、その辺よりも「プラドにはこんなに後の時代の絵もあるのか」と
知らなかったことに気付かされ、また気付かせてくれた作品に目を奪われたということでしょうか。
考えてみれば、マドリッドに行ったとしてもプラド美術館自体が混雑してそうなので
(それはパリの美術館に行くのに二の足踏んでいるのと同じですが)
まだ引越し展で見た方がましなのかもしれませんですね。
この点も認識をちと新たにしたといいますか…。




