フランクフルトではこれまでに、シュテーデル美術館
でオールドマスターから近代までの絵画、
そしてリービークハウス
で彫刻類の数々を堪能してきたわけですが、
コンテンポラリー・アート
もお忘れなく!ということになりましょうか。
レーマー広場
や大聖堂
の周辺には現代ものの展示施設がいくつかありまして、
さらに周辺を歩き回ってみると、どうやらあたりには画廊も点在しているようす。
現代アート好きには楽しいエリアなのかもしれませんですよ。
ということで再び大聖堂近辺へと足を向け、まずは「MMK」を訪ねてみたのですね。
「MMK」とは「Museum für Moderne Kunst」、文字通りに現代アート美術館ということに。
ただ、ここで訪ねたのは正確には「MMK1」であって、他に「MMK2」と「MMK3」もある。
時間に限りがあるものですから、このときには2と3は飛ばしてしまいましたですが。
(少なくとも2は本館の1とは全く別の場所にあると言ってもいいですし)
「MMK1」は、大聖堂からさほど広くはない道を北へ進んでいくと忽然と現われるといった印象。
角地にあってその鋭角の尖りを見せる建物の佇まいはハンブルクの「チリハウス」
を
思い出させるような。
オーストリアの建築家ハンス・ホラインが手掛けたという建物はそれ自体が印象的でありますが、
展示スペースを形作る内部の構造もまたユニークなもの。
ご覧のようすからでも、もしかしたらご想像いただけるのではと思いますが、
「この階段を行くとどこに出るのか?」「向こうの展示室にはいったいどうやってたどり着くのか?」
てなことを思わせるこの建物は、非常に遊び心に富んだものとも言えるような。
子供であったら、鬼ごっこに打ってつけ(鬼になった子は見つけにくくて大変かと…)場所と
思うことでありましょうね、きっと。
と、気付けばひたすら建物の話になってしまってますけれど、
なんだか展示物を見るという以上に建物探訪が興味深いなということの現われでしょう、
撮った写真を後から見てみれば、どうにも建物の部分ばかりが多くて…。
それでもやっぱり美術館ですから展示作品には少しだけでも触れておきませんとね。
現代アートと聞いて思い浮かべるところよりは比較的穏やかな作品が多かったような気がしますが、
分けてもここでは超有名作家の作品をクローズアップしておくとしますか。
壁面を飾るこの絵画、ロイ・リキテンスタイン作品(1964年)とは言わでもがなかと。
「We rose up slowly」とのタイトルは絵の部分の左側に書かれた文章の冒頭部分で、
どうやらこの男女は水中にいるようでありますよ。
かつて東京都の美術館が大枚はたいてリキテンスタイン作品を所蔵することになったときには
ちょっとした大騒ぎとなりましたですが、フランクフルトには少なくとももう2枚ありました。
(もしかしたら展示されていない所蔵作品があるかもしれませんせんものね)
いわゆるアメ・コミの一場面を引き伸ばして再現した作品で有名なリキテンスタインですけれど、
そればかりではないという一面を知ることができますね。
左側は「Yellow and Green Brushstokes」という、言われてみればなるほどその通りのタイトル。
こうした作品が上のようなマンガ拡大作品という方向に至る前段階かと想像すれば、
1966年という制作年からしてそうではないのですなあ。
単に抽象的というよりも「アンフォルメル
」という方が思い浮かびやすいような気がしますが、
そのお隣の右側に展示されている作品もまた違った傾向。
これもリキテンスタインの作品で、タイトルは「コンポジション」(1964年)です。
おそらくは作文用のノートブック(表紙に「Composition」と)なのでしょう。
それを真正面から写し取ったわけですね。
人の姿を真正面から描けば、それはおそらく「肖像画」と認識されるものと思いますが、
これは差し詰め描かれる対象がノートブックであった肖像画と考えることができましょう。
そう考えないと、「ふざけてる!」という感想にも繋がってしまいそうで(笑)。
という具合にリキテンスタインの作品はそんなあれこれの想像をさせてくれる分、
鑑賞者には愉しみを与えてくれるわけで東京の美術館でのその後の評価は
どうなっておりますことやら。
そうそう、上の「We rose up slowly」の前の床にオブジェが置かれてありますけれど、
これは(さすがにリキテンスタイン作ではなくて)Thomas Bayrle(トーマス・ベイル?)の作品。
タイトルは「Tassen tasse」(tasseは「cup」の意のドイツ語)です。
この写真の角度ではわかりにくいですが、ごく普通の「cup & saucer」を積み重ねて、
大きな「cup & saucer」の形を作り出しているという愉快作品。
現代アートもこのくらいのところまでなら心穏やかに見ていられるところながら、
この後はフランクフルトのコンテンポラリー・アートのさらなる深みへと踏み込んでいくのでありました。