読響の演奏会 を聴きに池袋へ行ったついでのお話。
折しも豊島区がらみの戦後70年企画とやらで
「戦後池袋 ヤミ市から自由文化都市へ」というイベントを池袋界隈のあちこちの会場で
様々に開催中であったのですね。
東京芸術劇場のある西口公園内のステージでは「昭和歌謡のど自慢」なんつうのをやっており、
通りすがりに漏れ聞こえたのは、東海林太郎の「赤城の子守唄」や平浩二の「バス・ストップ」、
それに松田聖子や中森明菜の曲。昭和歌謡とは幅広いものですな。
と、ここでは昭和歌謡に深入りするのでなくして、イベントの一環である別の話でありまして、
今では立教大学の研究センターてな位置づけになっている「旧江戸川乱歩 邸」、
これが普段は平日の水曜・金曜しか見られないのですが、
この連休中のイベント期間は開いているということでしたので、覗きに行ったのでありますよ。
この旧乱歩邸(とたくさんの資料)が大学所有となったのは2002年のことらしいですが、
キャンパス敷地から細い路地一本を隔てた場所であるだけに、
てっきりどこぞから移築でもしてきたかと思いましたら、
驚いたことに1934年(昭和9年)から亡くなる1965年(昭和40年)まで
江戸川乱歩はまさにその場所に住まっていたのだそうな。
これだけ近ければ、そりゃあいくらかななりとも、ご近所の縁はあったのではなかろうかと。
表札にさすがに「江戸川乱歩」とはありませんで、本名の平井太郎になってます。
文士のお宅拝見ではありませんが、昨年行った熊本 では漱石旧居 や小泉八雲旧居 、
今年は館林 で田山花袋旧居 、山梨 では横溝正史の書斎 なんつうあたりを見て回ってますけれど、
思い込みでもあろうものの、なんとなあく雰囲気があると言いましょうかね。
ですが、乱歩邸の場合、昭和40年まで住まっていたというとさほど遠からぬ昔であって、
かなりそこらの民家然としてますね。当然ながらアルミサッシがそこここに入って。
普通の暮らしが偲ばれるといいますか。
そうはいっても、江戸川乱歩の面目躍如?は
住いに隣接して、ここだけ妙に古風な土蔵でありますね。怪しげです。
引っ越し魔でもあった乱歩は都内で転居を重ね、この池袋の家は46箇所目であるとか。
最後の方では蔵書の保管の点からも土蔵にかなりこだわって見つけ出した由。
当初は書斎にとの考えもあったようながら、もっぱら書庫として使用されたそうな(現役ですが)。
これに「幻影城」という案内が置かれているあたり、乱歩文学の源泉になった書物の宝庫なのでしょう。
住い同様、中へ踏み入ることはできず、ガラス越しに眺めるてのが、
反って乱歩の世界を覗き見るふうでもありましょうか。
一階には主に作品作りの参考にした書籍類とのことでしたけれど、
ギリシア悲劇の類いやローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」なんかが見てとれましたな。
土蔵書庫の2階には江戸期の書物、そして保存用の自著作品が収められているそうですが、
保存の様子からも、どうやら相当に几帳面な性格だったようですね、乱歩は。
書庫のありよう以外にも、その驚くべき几帳面さを窺い知ることになるのは
住いの方の解説板に紹介されていた「貼雑年譜」という自分史ではないかと。
太平洋戦争下には、とても乱歩の作品が発表されるてな状況でなくなっており、
手すさびに思い起こせる限りの自身の記録を書き、また関連資料を貼り込み、
スクラップブック9冊分にもなるものができあがったという。
ここに盛り込まれた内容がすごい。
たとえば自分史を年表風にまとめたものは、記述の実に細かいこと。
また繰り返した引っ越しごと(全部ではないかもですが)、
その時その時の住いの間取りが克明に記されていたりもする。
もひとつ面白いのは、そうしたまめさでもって作り上げた「ツリック分類表」でしょうか。
「ツリック」とは「トリック」のことですけれど。
もっとも、こういうのを推理小説読者としてあんまり真剣に見てしまうと
ネタばれしやすくなって面白みが減ずるような気もしますが。
ちなみにこの旧乱歩邸から歩くこと数分で、
光文社がやっている「ミステリー文学資料館」に到着します。
こちらでも「没後50年-不滅の江戸川乱歩」展を開催中。
展示会場はごく小さなものですけれど、「D坂の殺人事件」の原稿があったりして
これはこれで面白く見て来ましたですよ。
少年探偵団ものを出して以来、子供からファンレターが山のように寄せられ、
また写真を見たりする限りでも子煩悩であったようすの窺える江戸川乱歩。
いかにもそこらのおじいさんふうですが、本当にそこらの感覚で池袋に住まっていたのですなあ。