ほぼ月に一回、読響の演奏会に行っておりますが、今月もまた。


前回8月の演奏会は夏旅ドイツ への出発前日だったものですから、

特段内容に触れることもなく機上の人となって…という具合ながら、

その時の「ドボ8」(ドヴォルザーク の交響曲第8番)はなかなかに爆演であったなと。


そして、今回9月のプログラムではやはりチャイコフスキー の交響曲第4番、

これまた大層な爆演でありましたよ。

もっとも、「ドボ8」、「チャイ4」といずれも元からそういう系ですけれど。


読売日本交響楽団第180回東京芸術劇場マチネーシリーズ


プログラムからしますと、リャードフの小品に続いて演奏された諏訪内晶子のソロによる

モーツァルト のヴァイオリン協奏曲第5番が(フライヤーを見ても)今回の目玉であったろう

とは思うところながら、ここはやっぱりメインディッシュのチャイコフスキーのお話で。


そもそもロシアにおきましては…と、またずいぶんと大上段からの話になりますが、

ロシア正教の影響もあり、合唱中心に推移し、鳴りものの方は補助的に、

しかも世俗的な音楽は禁止されたというところから、

いわゆるヨーロッパ音楽とは異なる音楽文化にあったわけですね。


これを「ロシアもヨーロッパである」ことを強く意識したピョートル1世が西欧の音楽文化の輸入を図り、

さらに元はドイツの出であるエカチェリーナ2世 は西欧音楽に慣れ親しんで育ったでしょう、

イタリア・オペラが宮廷で人気を呼んだ…てなことがWikipediaにも書かれてありますね。


エカチェリーナ2世が在位していたのはほぼモーツァルトの時代といえましょうから、

イタリア・オペラがもてはやされたのはウィーンの宮廷でも同じですから、

最新時流に追い付いたといいましょうか。


こうした中でロシアに作曲家が全くいなかったわけではないようですが、ほとんど知られておらず、

19世紀初頭、グリンカの登場を待って初めて水面から顔をのぞかせるロシア音楽てな感じかと。


その後にロシア5人組がいて、ようやっとチャイコフスキー(1840-1892)の出番となるわけですが、

5人組よりも洗練された?西欧志向の音楽を書こうとしたチャイコフスキーは他の誰よりも

西洋音楽保守本流のような交響曲を意識したかもしれません。


チャイコフスキーが残した交響曲は(番号無しの「マンフレッド」を含めて)7曲ありますけれど、

演奏機会が多いのは4番、5番、6番の「悲愴」でありましょうね。


1番から3番までは何となく聴き手に「もやっと感」を与える準備段階の作品なのかもですが、

4番になってひと皮剥けたと申しましょうか。

第一楽章冒頭の、ねこ騙し的金管ファンファーレは、

有名なピアノ協奏曲の出だしにも匹敵する掴みの良さなのではなかろうかと。


第2楽章、第3楽章と、いかにもチャイコフスキーらしい、

後にバレエ音楽「くるみ割り人形」のさまざまな踊りの場面で

音楽のバラエティーショーを聴かせてくれるようなメロディーメーカーぶりを彷彿させ、

最後の第4楽章では一気に大爆発の大団円を迎えます。


これが5番になると、さらに全体的な曲の統一感を意識した上で、

やはり最終楽章には爆演を引き出す、エネルギッシュな展開になりますね。

4番も5番も、奏者・聴衆ともどもに大きなカタルシスに包みこまれるわけでありますよ。


ときに、チャイコフスキーより7つ年上のブラームス (まさに保守本流みたいな人ですが)は、

聴衆の大熱狂必至の「チャイ5 」に対して、およそ良い評価を与えていなかったそうな。

大衆受けはするものの、おもちゃ箱をひっくり返したような最終楽章などからも

作曲技法としての未熟を見てとったのやもしれません。

おそらく4番に対しても、同様でありましょう。


言われてみれば「やみ鍋」的な印象もないではないですが、

演奏会、つまりはライブの臨場感を思うときに「チャイ4」や「チャイ5」ほどに

盛り上がる曲というのはそうそうあるではなく、聴衆がスカッとした気になって会場を後にする…

というのも、これはこれで音楽の効用なのではなかろうかと。


曲として考え抜かれたものにじっくり耳を傾けるのも勿論良いとして、

チャイコフスキーの爆発は時には体感したいものなのでありますよ。



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